「ここに行ったよ!ここ行きたい!!」その3 塩の国、赤穂を歩く① 塩の国の塩づくり
日本遺産ソムリエ 中本美苗
兵庫県民のわたしは、赤穂は塩で有名だと子どもの頃に習ったし、実際に近所のスーパーで手に入る身近なものだった。また、歌舞伎や文楽で「仮名手本忠臣蔵」を観たこともあって、赤穂のことはある程度は知っており、若い頃に訪ねたこともある。ただ、毎年12月14日の討ち入りの日に行われる義士祭は見学したことがなかったので、今回2024年義士祭に合わせて再訪してみた。
せっかくなので、第1部は塩の国の塩づくり、第2部で忠臣蔵と義士祭について書いてみようと思う。
第1部 塩の国の塩づくり
1 塩はどうやって作られてきたのか:塩の国で塩づくり体験
赤穂駅から南下して千種川(ちくさがわ)を越えたところに、「赤穂市立海洋科学館・塩の国」という施設がある。ここで塩づくり体験ができるというので、行ってみた。
この施設は赤穂海浜公園内にある。園内を進んでいくと、茅葺の塩の蔵や「揚浜(あげはま)式」「入浜(いりはま)式」「流下式枝条架(りゅうかしきしじょうか)」塩田という、昔の塩づくりの設備が残されている。さらに進むと「塩づくり体験棟」があるのだが、申し込みは奥の海洋科学館で行っているので、そちらで入館料を払って申し込みをすませる。
開始時間までは海洋科学館内を見学。小さな施設だが、設備はかなり充実。大きな岩塩が設置され、流れてくる魚影をうまくタッチするとその魚の説明がポップアップで表示されたり、千種川や瀬戸内の魚を実際に展示した水槽があったり、結構見ごたえがあった。子どもも楽しめると思う。
さて、時間になったので体験棟へ移動。なんと、日本遺産パンフレット表紙写真で塩づくり作業をしている方が、赤穂の塩づくりの歴史について、以下のようにわかりやすく説明をしてくれた。
そもそも日本の気候・風土では、残念ながら天然の塩(岩塩)はとれない。そのため、周囲を囲む海水を使った人工の塩づくりが欠かせなかった。ただ、海水は塩分濃度が約3%。たとえば、100mlの海水を燃料と時間をかけて炊いても、できるのは小さじ半分程度! それでは非常に効率が悪いため、濃度を上げた塩水(かん水)を作る技術が開発されてきた。
まずは、「揚浜式」。人力で海水を汲んできて砂地に撒いて乾燥させ、塩がついた砂を集めてさらに海水をかけて塩分濃度を上げ、それを濾して煮詰める、という方法。揚浜式の貴重な施設が日本で1か所だけ奥能登に残っていたが、地震とその後の豪雨のため、現在は休業中とのこと。早く復活してほしいと心から思う。
「揚浜式」では海水を汲み、撒くという多大な労働力が必要なため、江戸時代に新たに開発されたのが「入浜式」。これは干潟を作り、潮の満ち引きを利用してそこに海水を引き込み、毛細管現象によって砂を湿らせるという方法(その後の作業は同じ)。この画期的な方法により作業が効率化され、以降昭和30年ごろまでの長い期間、この方法が用いられていた。
その後、柱に竹の小枝をつるした枝条架を作って並べ、ポンプで海水を汲み揚げ、上から流して日光と風で水分を蒸発させることを繰り返す「流下式」という方法が開発された。これによって自動で1年じゅうかん水づくりができるようになり、労働力が大幅に軽減された。ただし、日照や風の強さといった自然の力に頼るところがあり、一定濃度に達する期間には幅があった。
昭和40年代に入ると、「イオン交換膜法」という科学的な方法が開発された。これは電気を使ってナトリウムを取り出す方法で、室内・小スペースで安定的に製造できるため、昭和47年にはすべてこの方法に転換された。ただ、電気的に分離するため、にがり成分(ミネラル)もきれいに分離されてしまい、純度の高いNaClができる。これがいわゆる「食塩」。係の方いわく、「塩辛いだけで味わいがない」とのこと。
さて、実際の塩づくり体験はというと……
こんなものが各自の前に準備されている。土鍋の中には、施設内で現在も稼働中の流下式枝条架で作られた濃度18%のかん水が入っている。加熱中は塩がはねるので撮影禁止ということで、途中経過を撮れず残念。後で見たら、確かに、机にかなり塩が飛んでいた……
まず、鍋底から大幅にはみ出す超強火で加熱スタート! すると、最初は透明の液体だったかん水がだんだん半透明になり、少し粘りも出てくる。このあたりから、30cmはある長い木べら(短いと火傷する)でゆっくりとかき混ぜていく。さらに過熱すると、ヨーグルトのように真っ白でドロッとした状態に! さらに続けるとそぼろ状になってくるので、かたまりにならないよう、このあたりから木べら2本でしっかりと混ぜ続ける。そうして消火。火からおろしたら土鍋の余熱を使って、今度はスプーンで鍋底に擦り当てながら乾燥させ、かたまりを砕いていく。熱い鍋に触らずに、でも冷めないうちに作業するのは結構な労力(笑)
そうしてできあがったのがこれ! 粉末状で、ちょっと灰色味のあるお塩。真っ白じゃないのはにがり(ミネラル)が含まれているから。夏場だと、茶色っぽいものになるらしい! また、サラサラなのは急速に炊き上げたからで、本来はもっと時間をかけて炊き上げるので結晶化するとのこと。実は海洋科学館に入館したとき、おまけにお塩をもらった。それが、ここで作られたかん水を説明係の方々がじっくり炊き上げて結晶化したお塩! 違いがわかるだろうか。
2種類の塩が手に入り、塩づくりの歴史と実際の設備も見ることができ、とても貴重な体験ができた。塩づくり体験は当日申し込みでOK、しかも無料! 説明と炊く時間で25分ぐらいかかるが、時間が許す方はぜひ体験してみてほしい。
2 赤穂の塩はどうして有名になったのか:赤穂市立歴史博物館
塩の国では塩づくりについて学んだが、では塩づくりはどうやって発展し、なぜ赤穂が有名になったのか。これは、赤穂市立歴史博物館1Fの展示がわかりやすいと思う。
赤穂は、千種川下流に良質な砂地が広がり、干満の差が大きい瀬戸内の海が利用できる、塩づくりには理想的な場所だった。そこで、江戸初期に赤穂藩主となった浅野家が大規模な塩田開発に着手、「入浜式塩田」による製塩を確立させた。そして、画期的なこの技術は瀬戸内を中心として、遠くは東北や九州にまで広がった。とくに瀬戸内沿岸の10か国は十州塩田と呼ばれ、一大産地として知られるようになったが、それでもなお、「赤穂の塩」はトップブランドとして全国に名をとどろかせていたらしい。
そうやって作られた塩は塩俵に詰められ、「塩廻船」に積まれて大坂へ運ばれ、そこから各地へと届けられた。専用の船があったということは、それだけ求められ、取引があったということ。また、商都大坂に近かったという地の利もあって、「日本第一」の塩の産地になったんだろうなと感じた。ちなみに、それだけ需要があった赤穂の塩を扱う廻船問屋は、莫大な利益を得て豪商となった。それが、赤穂市坂越(さこし)にある奥藤(おくとう)家である。坂越については、後日書いてみたい。
ちなみに赤穂では、東浜、西浜という2地域の塩田が広がっていて、東浜ではにがり成分をそのまま残した「差塩(さしじお)」、西浜ではにがり成分を少し除いてまろやかにした「真塩(ましお)」を製造していたとのこと。そして、差塩は江戸など関東方面、真塩は上方など関西方面で好まれ、送られたらしい。今も昔も、味の好みは変わっていないようだ(笑)
3 塩づくりが生んだもの:赤穂緞通技術・研修工房 つむぐ
赤穂市立歴史博物館の一角に、赤穂緞通が紹介してあった。緞通とは、じゅうたんのこと。赤穂の緞通は江戸末期、「児島なか」という女性が考案し、鍋島、堺、とともに日本三大緞通として知られているのだが、日本遺産検定の教科書を見るまで知らなかった(汗)。作品を見ると、海外のものとくらべて色合いが渋く、柄も日本っぽくて好み。日本製のじゅうたんにとても惹かれたので、見学ができる工房を訪ねてみることにした。
こちらは、次世代へ技術をつなぐための研修工房ということで、若い研修生もいらっしゃった。入るととてもすてきな作品が展示されており、1つを指して「これはわたしが作ったんです」とおっしゃる。触ってみると、色と色の境目に溝があり、凹凸があって柄がくっきり浮き出て見える。美しい。
色合いが渋くて青メインなのでもしや?と思ったら、やはり昔は藍や草木などを使って色糸を染めていたとのこと。今はさすがに化学染料かもしれないが、昔ながらの色合いは受け継がれているようだ。模様は和柄も多く、刀をモチーフにしたものなど、独特でとてもおもしろい。
機を見せてもらった。反物を織るものと同じ機だが、じゅうたんなので糸が太い。機の前には色付きの図案があって、1マス1目。色が違うところは色糸を変えて1目ずつ織っていく。工程としては、①緯糸をはさみ込む(挟せ[はせ])、②色を変えた境目を切りそろえて溝を作り、立体的にする(筋摘み)、③緯糸の長さを均一に切りそろえて厚みを整える(地摘み)、④全体を整える(仕上げ摘み)、これを繰り返して1枚の緞通を製作していくのだ。この「摘み」の作業が赤穂独特だそうで、使うハサミも独特。「腰折れ鋏」といい、糸切り鋏の刃先が反っていて生地に密着しやすくなっている。ものすごくよく切れるハサミで、力をいれなくてもシャキッと切れる切れ味でないと作業ができないそうだ。
海外でじゅうたんの製作現場を見学したことがあるが、床に垂直に立てて作業していた。こちらでは床に平行に置いて作業していて(水平機)、日本でも赤穂だけらしい。このほうが図案の出具合がわかりやすいし、摘みの作業がしやすいとのこと。どれだけ大変な作業かよくわかるので、動画で撮ってみた。見づらかったらご容赦を。
これらを果てしなく繰り返して、畳1畳分を織りあげるのに1年ぐらいかかるという。少し「挟せ」体験をさせてもらったが、通す場所がよくわからないし、糸の長さはバラバラだし、通す強さもバラバラだし、きたない……。これだけ手間暇をかけて美しく仕上げているのだから、高価なはずだ。
研修生のお師匠さんのお師匠さんは、朝は日の出とともに起きて機を織り、日が高いうちは浜に出て塩汲みなどの塩づくり作業をし、夕方になったら戻って寝るまでまた機を織る……という1日だったらしい。今では考えられないことだが、子どもを機にくくりつけて織っていたこともあったとか。赤穂の女性は、塩づくりも支えながら独自の緞通という文化を生んで継承してきた。なんて働き者でパワフルだったんだろう……と、遠い昔を思いながら妄想がグルグル激しく廻る「塩づくりを深く知る旅」だった。
第2部では、忠臣蔵(赤穂事件)と2024年度義士祭についてレポートしたい。
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