自己啓発のキロク①
こんにちは。
今日から自分の学びの記録を残していこうと思い、noteを始めました。
以前、WordPressで自分のサイトを作成したことがあります。
Google Adsenseに審査が通る気配もないまま、3か月がたちました。
自作はまだ早いと判断したので、noteで手軽に始めて文章力を磨こうと思います。
現在にいたるまで(新卒で入った会社をやめるまで)
わたしは金融機関で10年働きました。正社員でしたが、ずっと平社員です。
2回育児休暇をとらせてもらったり、正社員のなかでも一般職の期間が長かったので平社員のままでした。
一応、新卒の指導担当だったり、係のリーダー的なことはしていました。
それも今思えば精神的な負担になっていたんだと思います。
しかも時短勤務をしていて、上司からの風当たりも強く。
7時に家を出て、他の人と同じ量の仕事を人より早く片付けるため毎日ピリピリしていました。
保育園も閉園間際ばかりで、「先生からもう少し早くお迎えに来てください。」と言われました。
主人はお迎えを頼んでいた日でも平気で残業になったと連絡してきたり。
自分の両親は働いていてしょっちゅう頼める状況になく。
義理の母は専業主婦が長く、頼めることは頼めるのですが
嫁の仕事、母の仕事、こういったことにこだわりがありました。
保育園の送り迎えはお母さんがしないとかわいそう、とそのころ会うたびに言われていました。
仕事は好きではなかったのですが、人間関係も良くずっと続けるつもりでいました。
ある日、というか徐々に体に異変が現れました。
生理痛や出血量がすごかったんです。生理でないときも子宮が痛くなったりしました。
毎日ロキソニンや産婦人科でもらった漢方を飲んでいました。
職場の方は働き方改革で、一般の社員の人たちも残業がほぼ禁止になり、今までどうしても間に合わないとき仕事を引き受けていてくれた人たちまでピリピリしだしました。
定時に終わらない場合、上司からの叱責をうけるからです。
その上司のおかげで何人も辞めていくのを見ましたが、金融機関は幸い転勤も多いので耐えていればいつかいなくなるんです。
家と仕事の両立で精神的に疲れていたのだと思います。
その上司からの叱責が急に耐えられなくなりました。
翌日「辞めます」と伝えました。
そこからはあっという間でした。
担当のお客様の引継ぎをして、荷物を片付けて有給消化(全部じゃありませんけど)
就職活動
会社を辞めることが決まってすぐハローワークへ行きました。
子どもが保育園なので一度退園すると中々入れませんのでね。
体調は悪かったのですが、動けないほどではなかったので臨時の残業がない仕事を見つけました。1社しか受けませんでした(笑)
タイミングがよかったんでしょうね。
新卒採用の時期は終わった変な時期の募集でした。
本当は保育園退園になるギリギリまでゆっくりしようと思っていたのに。
ただ、久しぶりの就職活動で改めて自己PRなんか考えるのは次のステップへのいいきっかけになりました。
臨時職員としての1年
見つけた仕事は任期が1年と決まっていました。
その後どうするかのんびり考えようと楽しみながら働きました。
臨時職員として働きながら、人のサポートをする仕事って好きだな~とか
違う業種だとここまで違うのか~とか時間に追われることなく
ピリピリしないで穏やかに過ごしました。
おかげで体調もゆっくり休んだわけではないのに、良くなりました。
今の仕事との出会い
仕事の一環である日、日本語ボランティアの活動について知りました。
元々国際文化学部で外国に興味があったので、参加してみることにしました。
たぶん技能実習生とかなんでしょうが、平日は仕事があって勉強できない外国人の人たちが数人日本語を教えてほしいとやってくるのです。
日本人は年配の方などがボランティアで来ているのがほとんどです。
その中にコーディネーターの方がいたので話を聞きました。
話の中で初めて日本語教師という仕事があることを知りました。
国際文化を勉強していた大学時代、留学生のチューターというアルバイトをしていたころ。
きっと彼らは大学にいる日本語教師から日本語を習っていたのでしょう。
今思えば。
その頃のわたしは、彼らは国である程度勉強してきていて、大学では専門的な勉強しかしていないと思っていました。
「どうもありがとう」の「どうも」ってなに?と聞かれても
Thank you very much. の「very much」だよ。と言って、
相手を困り顔にさせていました。
そんなこんなで「日本語教師」知ったわたしは
次の週には養成講座の無料説明会に予約していました。
なんだかすごくピンと来たのです。
日本語教師養成講座
説明会のあとに家族に話しました。
やりたいこと見つけた!と言ったら主人はOKしてくれました。
子育てに責任は持たないけど、優しいんです。
臨時職員は残業もないし、精神的にも疲れないので学校との掛け持ちもできました。
もし、金融機関のままだったら、無理だったと思います。
休みの日にも試験やセミナーあっていましたから。
そもそも辞めなかったら日本語教師を知ることすらなかったでしょう。
正社員時代は定年まで働くことの呪縛みたいなのがあって、中々辞める気になりませんでした。
辞めたら確かにお金への安心感は減りましたが、世界が広くなったのでわくわく感が増えました。
辞めてよかった!!
日本語教師養成講座は、いろんな年代のいろんな事情の人たちが日本語を教えるという一つの目標に向かって一緒に勉強する不思議な場所でした。
ますます楽しそうな仕事だな~と思いながら通っていました。
そのうちに臨時職員の任期が終わりました。
でも、同じところで週2.3で続けさせてもらえることになり、学校には平日通うことにしました。
保育園の先生方も応援してくれました。
仕事じゃないけど通学でも退園せずに済みました。
日本語教師デビュー
養成講座が終わる少し前に就職活動を始めました。
落ちるの覚悟で在学中に応募したら、なんと合格。
あっさり日本語教師デビューしました。
コロナ禍の影響
このままコマ数を増やしていきたいと思った矢先のコロナでした。
1年生がゼロで来日がいつになるかわからないまま。
キャンセルされているっぽいことも聞きます。
今は非常勤職員で正社員ではありません。
今は2年生がいるので、その授業をみんなで分け合っているところです。
しかし4月になって2年生が卒業したあとのことを考えると
次の仕事探さなくてはと感じている今日この頃です。
せっかく見つけた好きだと思える仕事なので、なにかの形で続けていきたいのです。