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宗教+良好な親子関係=幸せ  

もう一、二週間前は経つだろうか、「親子関係が良好な人は、幸せ」というような記事を読んだ。
それは世界的に、幸福度が高い人のあれこれを調べたものだった。

https://gigazine.net/news/20250101-parent-child-relationship-quality-predicts-well-being/

親子関係がいい、よかった人が今、幸せだというのは、さもありなんと思う。
もちろん親との関係がよくなかったけれど、今幸せだという人もいるだろう。
しかし、三つ子の魂百まで、子ども時代に性格や考え方は培われていくのだから、親が好きだ、親に愛されたと言い切れる人は、幸せな子ども時代を送ったことだろう。
そして、子ども自体に幸せだった人は、今も幸せな可能性は高そうだ。

この数値は日本はどちらも他国と比べると、比較的低めであった。
特に父親が低かった。
私が子どもの頃は、授業参観だの入学式だのの学校行事に父親の姿はなかった。
子どもの教育は基本的に母親の仕事だったのだろう。
結果、子どもとあまり関わらない父親も多かったのではないだろうか。
それは決して「父親が嫌い」ということではないだろうが、関係が良好と言えるほどでもないのかもしれない。

この調査のもう一つのファクターに、「親子関係が良好な人は、信心が強い」というのもあった。
まあ、言い換えれば「信心が強い人は幸せ」と言えるだろう。

ドイツにもイスラム系の家庭が多いが、家族の団結力が強く、家族仲がよいイメージがある。
キリスト教の家庭は、今やそこまで信心深い人が少ない。
決して家族の仲が悪いとか、希薄だというわけではないが、イスラム教系と比べたときには、あっさりしていると感じられる。

まして日本はイワシの頭を信じるような土壌もありながら、実際に「宗教」と言われると、「無宗教」という人が多いのではないか。
日本では、「信心がなく、親子がうまく行っていなく、幸せじゃない」という図式が成り立ってしまっているのか。

この信心云々というのは、以前学校の先生が尊敬されていいた時代のことを思い出した。
昔は、家庭で親が先生を敬う態度を子どもに見せるから、自然と子どもも先生を敬っていた。
ところが昨今は、親自体が「あの先生はダメだ」「先生の言うことなど気にしなくていい」など、教員を軽んじている。
当然、子どもも教員をそのように見るに決まっている。

昔は教員だけでなく、母親が父親を敬っていた。
それによって、子どもは上下関係というものを学び、自然に父だけでなく、母をも敬うようになる。
また、ご先祖さまに対しても、疎かにしない気持ちを養っていっただろう。
これが、「信心があり、親子関係が良好で、幸せ」の構図なんだと思う。

私も反省すべきだが、どうしても「お父さんは全く!」というような愚痴を子どもにも言ってしまう。
当然子どもたちも同じように父親のそういうところはよくないと思うようになるだろう。
うちの子たちは、多分「お母さんは好きだけど、お父さんは好きというほどじゃない」という気がする。
これは、私のせいでもあると思う。(本人のせいもある)

子どもたちがお父さんを好きじゃないのは止むを得ないとしても、そういう背景で、将来子どもたちが幸せじゃない部分が出てくるなら可哀想だなあと思う。
まだ遅くないと信じて、夫のよくない行動に目くじらを立てずに、「まあ、お父さんも事情があるのだろう」と優しく受け止めた発言をしていこうと思った。

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