高齢化、そして高齢者は悪なのか?
昨日、こんなツイートをしたのだが、新型コロナの感染拡大が止まらない中、盛り場の人出などは大して減っていないし、菅政権の無策無能はひとまず置くとしても、国民の危機感のなさは感じざるをえない。 そして、街行く人々の言葉の端々からは、“新型コロナで死ぬのは高齢者であり、高齢者が減るのならば構わない”という、口には出さない「本音」や冷酷な認識をどうしても感じてしまうのだが…。
これは私の勘違いだとしても、高齢者の増加、「高齢化」がこの国にとって大問題であり、望ましくない事態だという認識はほぼ国民全員が持っているのではないだろうか。
だが、それは正しい認識なのだろうか?
「高齢化」はほとんどの場合、「少子高齢化」という一括りの問題として語られることが多いが、この時点から実はもう話が少しおかしくなっているのだ。 確かに「少子化」は大きな問題だ。子供が減るということは人口が減るということであり、それこそ国の衰退と同じ意味を持つし、国の経済、経済成長にとっても最大のマイナス要因にならざるを得ない。
ところが、「高齢化」は人口が減少する訳ではなく、今いる国民が長生きすることで逆に減少に歯止めが掛かっているとも言える。そう、国にとって最大の問題とも言える人口減少は「高齢化」ではなく、あくまでも「少子化」によって起きることなのだ。
「世代間対立」は政府の責任逃れ
では、「高齢化」の一体何が問題なのだろうか。
多くの人が思い浮かべるのは、それこそこの記事のタイトル上の絵が象徴するような図式。“若者、現役世代が高齢者を支えているのだから、支える若者が減ったり、支えられる高齢者が増えては困る”、だから「少子化」も「高齢化」も大問題ということになるのだろう。
ただ、これもあながち正しいとは言えない。 例えば、この図式が最も当てはまるのが、現役世代が払っている保険料で高齢者が受け取っている「年金」ということになる訳だが、そもそも日本の年金はこの「賦課方式」ではなかったということを知っているだろうか。戦後、日本の年金制度が始まった時には現役世代が払う保険料を貯めておいて将来、自分たちが受け取る「積立方式」で運営されていたのだ。
上の江田憲司のブログにも書いてあるが、高齢者よりも現役世代が遥かに多かった時代に「積立方式」で運営されていた年金は貯まる一方、それを官僚や政府が散々、無駄遣いをして枯渇させた挙げ句、いつのまにか現役世代が払う保険料を年金の支払いに充てる「賦課方式」に変更されてしまったという次第。 つまり、いま現役世代が保険料を払って高齢者を支えなければならないのは、高齢者ではなくて今までの政府や自民党政権のせいであり、政府が責任をもって高齢者に年金を支払うべきなのだ。
それを高齢者が増えたせいにするのは、政府、自民党政権の責任逃れというしかないだろう。そして、この政府の責任逃れはこれだけではない。
先日、高齢者の医療費負担の増額についてこんなツイートをしたが、これも年金と同じように、政府やその意を酌むNHKは「高齢者の負担増=現役世代の負担減」という図式を触れまわっているのだ。ただ、医療費はあくまでも政府の予算全体の中に含まれるもの。高齢者の医療費負担が増えたからといって現役世代が払う健康保険料が値下げされる訳ではないのだから、この図式は全くの嘘というしかない。
確かに高齢者が増加すれば、医療費や年金など社会福祉の予算を増やさざるを得なくなるが、MMTを持ち出すまでもなく、防衛費などの予算を削るなり、所得税や法人税を上げるなど、政府が予算全体の中でやりくりしていくべきことであって、それを直接、現役世代の負担増加に結びつけて「世代間対立」を煽ることこそ、政府の責任逃れのインチキそのものなのだ。
「高齢化」は本当にデメリットなのか
それでも「高齢化」は日本にとってデメリットでしかないと考える人は少なくないだろう。それを物語るのが上のグラフであり、「高齢化」には比例して働き手が減る、労働人口(生産年齢人口)の減少という大きな問題が伴わざるを得ない。
確かにこれは国の生産力に悪影響を与えるし、経済的活力をそぐというマイナス面もないとは言えない。ただ、テクノロジーやITの進化によって省力化は加速度的に進行している訳で、労働人口の減少が昔のように悪影響を及ぼすとも言いにくくなっている側面もある。
それ以上に考えて欲しいのは、今のデフレ下の日本は勿論、世界の経済状況で問題になっているのは「生産」や「供給」の不足ではなく、「需要」の不足だという点。 高齢化によって「生産」が落ちることは、現実にはさほど大きな問題ではなく、それよりも「需要」を増やすことの方が遥かに経済にとって重要なのだ。
そう考えれば、働けずに「生産」は出来ないが、死ぬまで消費して「需要」は支え続ける高齢者の存在、「高齢化」が経済全体にとってはマイナス要因とは言えないどころか、実はプラス要因と考えることさえ不可能ではない。
だだ、これが間違いなくマイナスに働くのが「生産」側、企業。彼らにとっては高齢化による生産年齢人口の減少は人出不足を招く訳で、それは労働市場の逼迫というカタチで企業に賃金の上昇、人件費というコストの増加を迫るからなのだ。
で、今のこの国で行われているのはその企業のコスト上昇を招く労働市場を冷やす政策。具体的には外国人技能実習制度などで外国人労働者を入れたり、非正規雇用化で主婦や、それこそ年金を減らすことで働かざるを得なくなった高齢者も労働者として労働市場に送りこんでいると言ってもいいだろう。
論より証拠、上のグラフでも判るように働く高齢者は激増。結果、労働市場が冷やされることで現役世代の賃金は増えない、少子高齢化による人出不足の筈が現役世代の収入が減り続けるというありえない事態がいま出現しているのだ。
本来ならば、「高齢化」は、高齢者が年金だけで働かずに消費をして「需要」をつくる。「生産」を担う企業は人手が足りなくなるので現役世代の賃金を上げて雇用し、現役世代は収入が増える…こういう図式になる筈なのだが、今の日本はそれこそ年金や社会福祉を削ることで高齢者も現役世代も損をし、企業だけが儲かる図式に陥っているのだ。
ここまで言えば、高齢者が増えること、「高齢化」で現役世代は負担が増える、という単純な図式が嘘であり、政府と企業がグルになって「高齢化」によるマイナス面だけを高齢者と現役世代に負わせていることが判るのではないだろうか。
これもまた企業や株主の利益だけを尊重して、社会福祉を削減する新自由主義的な政策による弊害に過ぎないし、社会福祉を拡充して高齢者が働かなくてもいい、安心して暮らせるようにする事こそが現役世代にとってもメリットがあるということに気付くべきだろう。 何よりも現役世代もいずれは必ずその高齢者になるのだから。
最後にもう一つ。
企業での出世や資産形成に時間が掛かることもあって、資産を多く持つ富裕層、高収入の人の多くが若者ではなく高齢者である、という現実もまた存在する。これも一種の「世代間対立」や「世代間格差」として捉えられることがあるが、これはあくまでも貧富の格差の問題。
富裕層の富の源泉になっている株式の配当や売買益へなどのキャピタルゲイン課税をちゃんとするなど、政府が富裕層への優遇を止めて「富の再分配」をすべきことであって、「高齢化」の問題として語るべきではないのだ。
また、よく言われる“高齢者がカネを溜め込んでいて使わないから景気がよくならない”という話も、政府が富裕層からちゃんと税金を取らず、それどころか日銀のETF買いなどで株価を支える為に、富裕層に使いきれない程のカネが溜まっていくだけ。で、その富裕層に高齢者が多いというだけの話なのだから。
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