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年をとることへの不安や恐怖
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年をとることへの不安や恐怖
これまで実家の義父母にはとてもお世話になってきたけれど、精神的なものか最期が近いのか、義父の具合が良くない。
少しショックだったのは、大晦日の夜、取り繕う気力もないみたいで、八時頃ベッドに入った。
トイレが近いように二階の寝室を一階の和室に移していたけど、襖におもちゃを片付けようとソッと開けると
「閉めなさいっ!」と怒鳴られた。
たぶん、私の事をお義母様と勘違いした。怒鳴られて怖かったわけではなく、恫喝すら頼りない、これが老いということか、というのが、なんだか悲しかった。
今から20年~30年、緩やかな弧を描く感じで、私の気力は充実する。その間に、老いに対する不安を軽減させなくてはいけない。抗うのもひとつの手だけど、全てを受け入れる事が必要だ。
嫌なことは、たくさんある。
定年で働けなくなるのが嫌だ、働けないと社会からレッテルを貼られるより、自分が社会のレッテル通り、もう以前のように働けないと自覚してしまうと辛いだろう。歳を取るのは「情けないことだ」と、義父は言っていた。
体が重たくなるのが嫌だ。
思うように若い人に優しく出来なくなるのが嫌だ。死に向かい、いつ死ぬのか、と、焦り気持ちに余裕が無くなるのが嫌だ。
義父は長寿で、友人だけでなく弟達を全て見送ってきた。病院ではなく自宅で最期を迎えたいという希望があり、義母と週一のケースワーカーさんの問診、定期的な通院で健康維持して生活している。
半世紀も寄り掛かられている義母は、義父の事を自分勝手な人と言い、それは当然と思うけど、6年ほど前、80歳になる頃、絵画教室に通い始めた。いくつになっても生き甲斐を見付けられるというのを体現されていて、私はちょっと嬉しかった。
それを辞めてしまったらしい。
「お休み」すれば良いのに、そんなことをしたらますます元気が無くなるのでは、と、残念に思った。けれど、死に向かうのは私ではなく、義父だ。自分の終わりをプロデュースしている。たかが末息子の嫁が口を出すことじゃない。
ディズニーにリメンバーミーという映画がある。誰かが老いていくのを見るのは切ない。ウキウキ楽しい気分のすることじゃないし、不安になるものだけど、私自身が少しずつ老いを受け入れるという意味では、大事な事だと思う。