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「大丈夫?」と聞かれると
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「大丈夫?」と聞かれると
「大丈夫か?」と聞かれると、正直困ります。「大丈夫」って言った方が良いんだろうし。大丈夫ではないって言った場合に、その後、何が大丈夫じゃないか、的確に言語化出来なくてはならない。
つい先日、noteに「信用している元上司」の話を書きました。
何カ月か前のことを蒸し返したり、何年か前の評価に対する質問を、実は「自意識過剰かと思った」と、なかなかズケズケ言われていると思うんですけど。
その、ズケズケ感が好きなんですね。何から何までズレている上に、物言いに遠慮が無かったら傷付くだけかもしれないけど、「謙虚」と「卑屈」は似て非なるものであるように、元上司の言っていることは、単にキツいものではない。
私が仕事で何をしているか、何が得意で何が苦手か、どういう思いで働いているか、評価する上で100%知っているわけではないだろうけど、知らないことには口を挟まないようにしているのが、分かる。真摯。
最近では、私が苦しんでいることに、耳を傾けようとしてくれた。真摯。
仕事の上でも、この真摯さが部長と課長に少しでもあれば良いのに、と思う。
元上司の器量が大きくて、今の上司は小さいなどと、人間の性質なんて、ほとんど関係ないと思う。
ロマンチストだと思っていただいて、結構です。
「部下を大事にしよう」
前者と後者で違うのは、その気持ち一つのように思う。
部長と課長は、あくまで「会社のため」だと、実態のないものを守ろうとしているように見える。部下の一人一人が会社の一部とは思っていないような…。
話が逸れたので、無理矢理もとに戻します。
別に仕事に限らず「大丈夫?」と言われても、私は反射的に「大丈夫」と答えてしまうので、気にかけるつもりがあるのなら
「何を手伝おうか?」と、手を貸すことを前提にしてほしいのです。
昔、雑誌かなにかで、読んだことがあるような気がするのです。それは、迷子とか、子供に声をかけるとき、というテーマだった。
大丈夫?と聞くと、大丈夫と答えて、逃げられてしまうので、困っていることはある?反射的に「うん」と答えて、助けを求めやすくするのだと。
私が職場で抱える問題、根本的なところは誰かに助けてもらえる事では無いのだけど。
けど、良い意味でも、悪い意味でも、元上司に相談して、一つ区切りがついた気がするんです。
あの人に迷惑がかかるのは嫌だなあ…っていう気持ちを、理解してもらえなくても、伝えたから、もう良いか、やりたいようにやろう、辞めるまで、と。
そう思うと、係長が人を煽るだけ煽って自分からは動かない人であることも、そういうことだ、そういうこともあると、心から受け入れることが出来たような気がします。