「毒親エピソード」でふと思い出す事
「毒親エピソード」でふと思い出す事
自称・毒親育ちです。
別になんの経験も無く、思春期から脱せず「私の親は毒親だ」と言っているわけではありません。
平々凡々の我が身ながら、一応いろいろ「母親は毒親だった」と思うところがあります。
もう何年も会っていないので、私の母親への印象は、その時点から変化しないのですが。
毒親は、何をもって毒親なのか?
毒親たらしめるのか?
一言で定義するのは、難しいと思います。
一つの要素として、子が、親の理想に近く、自分の成果として誇れない場合に、親は子の価値観をコントロールしようと焦るあまり、自分の感情をコントロールできなくなる…というのがあると思います。
20歳過ぎた頃、私は、母が所属していた落研つながりの落語会で、お茶子として手伝いに行く機会がたまにありました。
偏見の謗りを覚悟のうえで言うと、落研関係者って、下品な人がけっこう多いんですね。
自分の「面白い」に、汎用性があると勘違いしている人が珍しくない、と言いましょうか?所詮は素人、高座でウケた時は自分の実力と考え、ウケなかった時は、観客が悪いと考える、経験による進歩ではなく自己肯定感のみを助長させた自称「芸人」です。
Yさんは、母親の友人ですが、後に人伝で聞いたところによると、新型コロナウイルスで亡くなったそうです。
私が知っているのはそれくらいで、Yさんとほとんど関わりは無かったのですが、初めて母から紹介を受けた時に、どういう話の流れだったか、もう記憶に無いものの
「ア○ル・セックーならいける?」
と聞かれたのを覚えています。
なかなかの衝撃笑
なんて下品な人だろうと思ったので、そのシーンは忘れられるものではない。
たぶん、お茶子も芸人の端くれという感覚で、そういった発言も包摂されるべきだと考えていたんじゃないでしょうか。
当然その場には母もいましたが、娘がそんな発言を受けて、よくニコニコ聞いていられるな、と、良くも悪くも驚きしかありませんでした。
印象強くこの発言が記憶に残っているのは、このシーンが母の性質を象徴するものだったからではありません。
それまで母が私ら子供に抱かせようとしていた「母」像に、とてつもないギャップが生じつつあったからだと思います。
当時はもう離婚間近で、落研関係者に母の愛人がいることも知っていました。
それまで「婚前交渉なんて言語道断」と言っていた母が、「不倫は悪なんて概念は、不倫できるほどの魅力のない人間のやっかみ」などと言い始めました。
その二つは、母にとって今でも矛盾しない事実なのかもしれないけど、少なくとも「正しいと思っていることを主張している」のではなくて、母にとって都合の良いことが正しいのだ、と主張している風に見え始めました。母への想いが冷めはじめました。
「婚前交渉は許すまじ」という感覚でありながら、言葉だけ、冗談だけなら「俺とイッパツどう?」でもなんでも言っても良いということ?
その理屈だと、露出する系の変態も大別すると「無害」ということにならないか?
もう還暦を迎えた母ですが、一人っ子で、私との関係を絶つまで情緒が少女だったんですね。
改めて書くと、ものすごい話と思うんですけど、「昔、自分に気があるらしかった男性」は、いつまでも自分の事を好きだと思っているフシがあるし、好意を寄せられると気分がよくなっちゃって、財布の紐が緩むらしい。(※でもホストにはハマらない。ホストはまずお姫様が虚像であることを知ってる人が行くところで、お姫様像が真実な人は、はじめから行かないと思う)
自分に好意的な男性の恋人への印象は、何くれと理由をつけてマイナスだけど、それを「冷静な判断、意見」と思い込んでいるし、それでも自分の事を「筋の通った女性」と思っていて、身持ちの悪い、だらしのない女性は毛嫌いする。
かといって、自分の感覚が少女なものだから、子供はいつまでも「赤ちゃん、幼児並み」の情緒と思い込むらしくて、何を言っても「御前ごとき子童に何を言われても響かぬ。私より年取ってから出直してこい(※不可能です)」という感じだし。
最終的な私の印象は
「母親のことを心の底から無関心になれるほど嫌うというのは不可能かもしれないけど、こんなに見てて不安な人は、もう見ていられない」というモノです。
付かず離れずの関係を続けて、影響を受けるのも、勘弁。