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YouTubeで10万再生を超える動画を作っていた時の話

 昔、ゆっくり解説動画の脚本を書いていたことがあります。霊夢と魔理沙という機械音声が、ちょっとした雑学や小ネタを楽しく解説してくれる動画のことですね。

 僕がシナリオライターとして働いていたのは、あまり知られていない外国の魅力や歴史をわかりやすく解説するチャンネルでした。当時人気が高く、自ら手掛けた動画が数十万再生を達成したこともあります。

 完全な下請けだったので大した給料はもらえませんでしたが、当時の何も知らない私は「興味があるトピックを調べて文章を書くだけでお金をもらえるなんて最高じゃないか!」とまるで天職を発見した気分でした。今考えるとかなり高度な知的作業を行っていたのに時給はアルバイト以下だなんて、搾取されていた気がしなくもないですが。

 脚本家として働いていた中で一番楽しかったのは、動画に寄せられたコメントを眺めることでした。芸能人が「実は裏で死ぬほどエゴサしてます」と自嘲まじれに言うのを聞くと「そんなに自分の評判が気になるもんかなあ」と不思議に思っていたのですが、今ならその気持ちが痛いほどよくわかる。

 批判コメントやただの誹謗中傷に心を抉られる時もありましたが、とにかく自分が作っているコンテンツについて他人がああだこうだと言っているのを見るのが死ぬほど楽しかったのです。

 存在しないキャラクターの荒唐無稽な掛け合いを取り上げて無駄に考察してくれている人や、動画の一節を「いい文章だ」と褒めてくれる人。全く関係ないことを延々とつぶやく人もいれば、コメント欄で謎のファイトを繰り広げる者も。

 そんな喧騒を見ていると、なんだか自分が小さなコミュニティ世界を作った神様のような気分になるのです。 みんな僕の言葉に触発を受けて、感情が揺すぶられてる。僕の言葉によって過去の思い出を思い出した人もいる。それがなんだかおかしくて、同時に温かい。この世界を想像した神様が人間を見下ろすときってこんな気分なのかなあ。

 なにかコンテンツを制作する時に関わらず、やはり私達は社会的人間である以上、自分の話を聞いてくれて反応が返ってくると舞い上がってしまう生き物なのでしょう。クラスに一人はいる、教えたがりのあの子もきっと僕と同じです。

 ただ、YouTubeはすごい。何十万人もの人が自分の話を、自分の講義を聞きに来てわいのわいの盛り上がっている。この快感は何にも代えがたい。自らを知ってほしい理解してほしいという根源的な欲望はきっと芸術や文学を発展させてきた立役者なのであり、同時に人々をネット依存に突き落とす犯人でもあるのでしょう。

 ちょうどいい距離感を保って承認欲求と付き合っていきたいなあと思う今日このごろです。ライターをやめてからしばらくたった今でも、あの感動は忘れられそうにありませんが。 

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