【短編小説】賽の河原

 いつの間にか、僕は見知らぬ河川敷に居た。夏の暑い日のことだった。数メートル先には小さな水の筋が薄く伸びていて、太陽を反射させていた。周囲は木々に囲まれている。どこかの森の中だろうか。

 やけにだだっ広い河原には、小さな石がたくさん並んでいた。老若男女が間を開けて点在し、石を積んでいる。ただただ、石を積んでいる。なんだか奇妙で滑稽な情景だったけれども、その場に居た僕も何故か「石を積まなくちゃ」とそれがまるで義務であるかのように自然と体が動いた。

 手近にあった小奇麗なものを一つ掴み、河原の上に置く。横から覗いて平行であることを確かめる。またもう一つ手に持って、今度は土台を支えながら据え置いた。案外がっしりとしていて、崩れそうにない。もう一つ、もう一つ。いつの間にか小さな塔が出来あがる。頂上の上にまた一つ、全体のバランスを観ながら積み上げた。高くて立派なものを作らなければいけない気がした。

 日はいつまでも落ちそうになかった。少し休憩しようかと尻もちをついて周囲を眺めてみると、まだそこかしこに居る人々は石を積み続けている。中には自らの背丈より高い石塔を作り上げた人もいれば、バランスを崩して崩壊させてしまい、また一から作り直している人もいた。飽きてしまったのだろうか、絶望してしまったのだろうか、手を止めて眠りこけている人もいた。

 僕はもう一度自らが手掛けたものを眺める。腰のあたりまである積み石はなんとか安定を保ちつつ、より成長していく余地を残しているように見えた。よい区切りだから少しだけ休んで、もっと頑張ろう。そう息をついた時だった。

「上手だね。でも多分、あんまり熱中しない方がいいと思う」

 優しいけれど、どこか気だるい声だった。後ろを振り向くと、大学生くらいの男が微笑をたたえながら体育座りしていた。知らない人だったけれど、なぜだか一目見て懐かしさを感じる。どこにでもいるような見た目ということだろうか、それとも彼が万人に受け入れられるような容姿をしているからだろうか。

「どういうことですか、熱中しないほうがいいって」

 僕も落ち着きを取り戻し、そう尋ねた。普段よりも低く、深い声が出た。

「君は十中八九、どれだけ頑張っても自分の背丈を超えるほど石を積むことはできないってことさ。だから、あんまり真剣にやらない方が身のためだ。何年も人を、君と同じような人を見ていれるから、どうなるのか手を取るようにわかるのさ」

 むっとした表情をばれないように隠しながら、まじまじと彼の顔を見る。爽やかな匂いがする。顔立ちはシャープで整っており、あきらめに似た余裕があった。自らの塔をもう一度眺める。

「何年もここにいるの?」

「そうさ、ずっと昔からこの場所にいるんだよ。色々な人を見続けてきたさ。とんでもなくうず高く積み上げる人もいれば、そうじゃない人もいた。どれだけ高いところまで行けるかはね、顔を見ただけでわかるようになってくるんだよ。きっとこいつはこれくらいの高さで打ち止めになるだろうって」

「そして僕はそれほど適性がない?」

「言いにくいけど、そういうこと。ほら、向こうを見てごらん」

 指さされた方を見てみると、遠くの方に薄汚い男がにやにやと不気味な笑みを湛えながらやはり石を積んでいた。あまりに遠くでわからないけれど、どうやら2メートルをゆうに超える高さまで積みあがっている。強固な足場まで作っているようだ。

「ほらね、世の中にはああいう風な人間もいるんだ。石を積むだけために生きていて、それが楽しくて仕方がないっていうやつらがさ。別にそれが健康的ってわけじゃないけど」

 それに比べて、と顎をしゃくる。細い川の対岸には仲良く数人で集まって楽しそうにしている一団もいた。話をしながら、遊び程度に石を積んでいるみたいだ。

「君は他人一緒にいるって性格でもないだろう。これまでずっと一人でいたみたいだし」

「まあ、そうかもしれない。単純に体力がないんだよ。人といると疲れちゃうんだ」

「けれども、極めて優れた才能を持っているわけでもない。もちろん努力すればそれなりには行けるけれども、やっぱり限界はあるね」

 ふうん、と適当な相槌を打ってしまった。彼のいうことはなぜだかとても説得力を持っていて、僕の才能はその程度のものなんだろう、と納得してしまった。彼の冷笑的な態度には、どこか有無を言わせず人を従わせる何かがあった。

 不意に全部を辞めて思いっきり塔を蹴飛ばしてしまおうか、と思った。大変な思いをして築き上げた分、城がからからと音を立てて崩れていく眺めは大層気持ち良いだろう。

「なんだか、すべてが空しくなってしまったよ。元からすべて空しかったような気もする。悲しいね、どうして僕は今まで石なんか積んできたんだろう」

 彼も少しだけ笑って、「本当にそうだよね、僕だっていつの間にか石を積み始めててさ、意味もわからずただ同じことを繰り返していただけだったんだ」

 僕はうつむいたまま、「あなたなんかに会いたくなかった」

「そうかもね、でもいづれ君は今と同じような、あるいはより深い絶望に陥っていたような気もするけど」

 きっとそうだろう、と頷いた。だからこそ、こんなにも不躾な男に対しなんの怒りもわかなかった。きっと彼は、僕と同じような人間なんだろう。だから傷が深まるうちに、塔が高くなるうちに敗戦処理をさせようと考えたのだ。

「あなたはどうして石を積んでいるの?」

 想定どおりの質問だなあ、と彼はあきれて笑う。ゆっくりと頷いて、頷いて、口を開く。

「あんな小さな川じゃあ、飛び込んでもきっと死ねないだろうからねえ。本当のところは自分でもよくわかんないさ。たまに趣味で、つまり高いところを目指そうとせずに石を積み上げると、なんだか楽しいような気もしなくもないしね。もちろん空しいけど、けど、まあ、いいんじゃないか」

「きっと僕は疲れているのかな」

「そうかもね。あの張り詰めた表情を見るに、現状のままじゃあ君は疲れ続けると思うよ。良くも悪くも力が入りすぎている。はたから見たら明らかに異常だけど、当の本人には気が付かないだろうね。僕もそうだったし」

「だめだね。いつも肩に力が入る」

「まあ、ねえ。気楽にいこうよ。僕が言いたかったのはそれだけだよ。気楽に、肩の力を抜いて、のほほんといこう。川のことなんか忘れて、石積は息抜き程度で、そんな風に何十年かをやり過ごせばいいんだよ。いつここから出られるかは全くわからないけど、まあ、そうするしかないよね」

 自然と口からため息が出て、その勢いで塔をとんと押す。あれだけ気張っていた石たちはかわいらしい音を立てて小さな古墳みたいな山を作った。なんだか体が軽くなった気がした。

その様子を見て、彼は僕の双肩に手を置き、「じゃあね」と一言。

「どこへいくの?」

「南の方さ。ずっとずっと南を目指して歩いているんだよ。道中で君みたいなのにであったら、ちょっかいをかけているだけ」

「最後にひとつだけ聞いてもいい?」

「どうぞ」

「森の向こうにはいったい何があるの?」

 ははっと彼は悲しそうに笑う。「それについては知らない方がいいぜ」
 そう言い残して、彼は去っていった。

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