くすぐったい、 雨音。 ~#2000字のドラマ~
29歳と363日。
もうすぐ、私は30歳になる。
これから眠って、朝がきて、昨日買ったパンを食べて、仕事に行く。
いつも通りに、電話をとって、お茶を入れて、パソコンで文字を打つ。
お昼ごはんは、いつものコンビニで、サラダとお肉が入ったお惣菜。貯まっていたポイントで、スイーツも買ってしまおう。 最近でたらしい、低糖質で、季節限定の。
午後は打ち合わせがあって、提出期限ギリギリになった書類を仕上げたら、決裁をもらって、宛先を書いた封筒に入れる頃には、終業のチャイムがなる。
そうしてまた、何もない夜が始まって、なんとなく寝転がったら眠くなって、歯磨きしなくちゃって思った真夜中に、この部屋で30歳になるのだ。
20代を、だらだらと走り抜けて、大人を演じてきたけれど、学生時代の私と、それほど変わってもいない。
高校に入ったばかりのキラキラしていた私は、10年後の自分が、こんなに平凡な日常を過ごしているなんて、想像すらしていなかった。何者でもない、今の私を、どう思うのだろうか。
この1年は、結婚式に呼ばれてばかりいる。今月は3組もあって、毎週のように美味しいものを食べられたのは嬉しいのだけれど、俗にいう、ご祝儀貧乏だった。
そのぶん、幸せのお裾分けは、充分すぎるほどもらったけれど、気分だけを味わっているだけで、毎日が劇的にかわるほどの、何かがあるわけでもない。
どうして、結婚、しなければならないのだろう。
人間も動物なのだから、種の保存を考えれば、自然なこと、なのだろうか。
時代が変わったというけれど、そもそも家族がいることが前提になっているから、1人で生きていくには、生きにくい世の中だし、誰もそれを変えようはしてくれない。
いっそ、適齢期がきたら、必ずパートナーを作らなければならないと、法律で決められていたなら、まだ思春期の浮かれた気分を忘れていないうちに、出逢った人の中から、何となく上手くやっていけそうな人を選んで、それなりの、家庭を築いているのかもしれないのに。
学生時代は、全くモテないというわけでもなく、それなりに、男の子達と遊んでいた。それまでは真面目なだけが取り柄の、目立たないタイプだったから、たぶん大学デビューってやつだったのかもしれない。
一緒にいて楽しいと思う時間もあったけれど、優しいことばを並べられても、ただ表面で繋がっているだけで、こころに触れてくる人は、いなかった。
誰もが、手に入れているような、ありふれたこと、さえも、ない。私の、人生、には。
そんなものだと、思っていた。
今日、さっき、までは。
着信の、知らせが、震えている。
どれくらい、ぶりだろう。電話なんて。
ここ最近は、滅多にない、ことだ。
大抵は、吹き出しの中での、やりとりばかりで、家族でさえも、指でしか、繋がっていないのに。
並んだ文字を確認して、ためらいながらも、ゆっくりとなぞった。
「もしもし。」
よそ行きの声で、応じてみる。
「雨がひどいって、ニュースで言ってたから。」
いつかの、あいつ、だった。
そういえば、帰り際に、雨が降り出していた。携帯会社の、大雨警報を知らせる通知が来ていたような気がする。
20代最後の雨かも、、なんて思いながら、傘は差さずに走ったから、つま先が少し痛くなった。
カーテンを少しめくって、窓をこする。
「全然、降ってないよ。こっちは、大丈夫。 そっちは?」
お決まりの、会話を続けてみる。
いつだったか、実家に帰ったとき、いつもは口数の少ない父親と、とりとめのない会話をしていたら、突然、呟かれた。
「どこかに必ず、相手が、ひとりはいる、からな。」
お見合い結婚だった両親は、そんなに仲睦まじい関係でもなかった。むしろ適齢期の終了期限が見えていて、仕方なく身をかためたと聞いていたし、子どもから見ても、夫婦なんて馴れ合いの同居人、という感じに見えていたから、それまで感じていたことと真逆の一言に驚いてしまって、どんな言葉を返したのか覚えていない。
その時のことが、何故か、今でも引っかかってしまっている。
頭の、片隅の、方で。
20代の、残りの時間は、刻々と、少なくなっていく。
何でもない、世間話や、昔の思い出を懐かしんで、いるうちに。
ちょっと、言ってみようかな。
たぶん、ひとりの心細さがそうさせたのだ。
淋しくはない、けれど、
どこか物足りない、ような。
「もうすぐ、ひとつ、歳をとるんだ。」
「あ、明日、だっけ。それは、おめでとう、 だね。」
「ありがとう。あっという間に、おばさんに なっちゃうね。」
甘い空気、になるわけでもなく、会話は続いていく。
たいした話でもないのに、笑っている。
29歳の、最後の日の、はじまりの瞬間に、
笑顔でいられて、しあわせだ、と思った。
誰かを、求めていなくても、
誰かに、求められてなくても、
幸せって感じられるもの、なんだな。
雨が降った時に、思い出してくれた人がいる。
私の存在は、確かに、その人の、中にいる。
それだけで、私が生きている証、なんだと思う。
最後で、はじまりの、人生のパズル。
私が作りあげた、わたしだけの、組み絵を、少しだけ、見たくなっていた。
この形に合う、誰かには、これから出逢うのかも、しれない。
もしかしたら、こんな瞬間が来ることを、予想していたのだろうか。
あのときの、父親のことばがよみがえる。
いつまで、続くのかな。
充電、残りあとどれくらい、だろう。
声がだんだん遠くなって、私はうわの空になる。
それでも、会話は続いている。
このまま、ことばが尽きるまで。
もう少し、あとすこし。
心地よい、眠気に誘われるまで、
この耳に、くすぐったい声を聴いていよう。
たとえ、あいつが、知らずに捜していた、
もうひとつの、ピース、じゃなくても。
だって、今日は、
特別な日、なんだから。