『ジゼル』東京バレエ団@東京文化会館2/26ソワレ
一番好きだけれど生で見るのは16年ぶり。
私の永遠のヒロインは 斎藤友佳理 (現芸術監督)のジゼルで、初恋はマラーホフのアルブレヒト(ジゼルの恋人)でこの2人の舞台は精神の殿堂に今なお君臨している。今回主演した沖香菜子のジゼルは、その私からしてもそれだよ!と思わせるものだった。
あらすじ(本家サイトより)
第1幕は森とぶどう畑に囲まれた小さな山村の秋。村娘ジゼルの家の庭先。踊り好きの村娘ジゼルが恋した青年は、じつは身分違いの貴族アルブレヒト。無垢な恋を裏切られたジゼルは気がふれ、心臓発作を起こして息絶える。
第2幕は森の中の沼のほとり。真夜中、巨木の生い茂った墓場。ジゼルの墓を訪れ悔悟するアルブレヒト。未婚のまま亡くなった乙女は、地の精ウィリとなって夜な夜な墓場で踊らなければならない。そこに迷い込んだ男は、夜明けまで息の続くかぎり、踊ることを強要される。踊り疲れて息も絶え絶えになったアルブレヒトを見たジゼルは、ウィリの禁を犯してかばう。
全体として
誰かの目線が常に物語を支える舞台だったと思う。村人たちと、ジゼルを見ているアルブレヒトの視線、基本として主人だけを見ていて最後の最後でジゼルを見る従者の視線、バチルド姫(アルブレヒトの婚約者)の視線、そして何も目に映さないウィリたちと、きっぱりと目を背けるミルタ(ウィリの女王)の視線。
一幕
見るからにお戯れ/城下見物といった体の浮ついたアルブレヒト(柄本弾)。この表情を見るためだけでもオペラグラスを持ってきて良かった。
ジゼルとは会って間もない感じ。触れ合ったのもこの日が初めてなのかもしれないと思わせるくらい、双方が初々しい。けれど恋する二人の世界なんて出来上がっているはずはない。ヒラリオン(ジゼルを想う森番)とジゼルのやりとりを冷笑的に傍観してるとこからから「あー待て待て分かってねーなww」的な入り方をして、無礼討ちしようとして剣がなかったけどノリで追い返して、ジゼルと村人たちの踊りも途中から見様見真似で加わるけどやはり余所者/傍観者なんだけど、一番決定的だったのはジゼルが踊ってる途中で心臓を抑えたところだな。ここで駆け寄らず自分の腕の中に入れられない、決定的な距離感、みたいな。そしてジゼルたちがいなくなったときに彼がみせる「あの子可愛いいいい」な緩み切った表情がますます腹立たしい(褒め言葉)
この直後に貴族の一行が村で休息にくるのだけど、今回のジゼルと公爵は血がつながってなさそうだと思えた(ここでジゼルの母親と公爵が明らかに因縁ありな様子を見せる版もある)収穫祭で踊られるジゼルのバリエーションの場に恋人がいなくてヒラリオンがいる、というのは「この子は貴族とのつながりだってないし、本来この村で一生平穏に過ごせるはずの女の子だったんですよ。貴族の男が変なちょっかいださなければね」という意図だったのかな。近所のおばさんがヒラリオンに肘ツンするような光景もあって。
パドユイット(ジゼルの友人)が出てくる所での終わりの始まり感。すべてが露見してカタストロフィへ。ヒラリオンは明らかに相手が剣を抜くよう誘っていたし、バチルド姫がなんとも言えない表情をしていた。軽蔑するでもなくドン引きするでもなく、無関心を通しているというのでもなく、ただただ困惑しているって顔。
序盤では従者のいうことに聞く耳持たないのに、土壇場では彼に頼り切りで「今の有様きちんと見てください」と促されるのも惨めよね。自分の剣を彼女が振り回す瞬間さえも。そして従者→アルブレヒト→ジゼルの視線の構成が従者→ジゼルに変わる瞬間の危うさ。
最後は母親に抱き留められるはずがアルブレヒトに抱き留められてジゼルが死ぬの、大抵はリフトされて天に手を伸ばす動きが入るんだけど、それがなかったから、「この子はあなたが触れたせいで死んじゃったんだよ」という痛烈なメッセージにも思えた。子供が親から「元の所に戻してきなさい」と叱られることも考えつかずに子猫とか小鳥とか触ったり拾ったりするみたいな。そこからの流れは考えなしの貴族、ただそれだけ。
二幕
前半のハイライトはウィリたち。事前インタでも強調されてたけど「少女の霊」であることにフォーカスされていた。体温と視線を持たない少女たちの遊び。透明感はまさしく芸術監督の薫陶。
アルブレヒトは貴族の正装で墓参りにきて、そのまま夢に導かれたのだろうな、と思わせた。背中で感じるだけで視線を合わせられない相手とのパートナーシップが初手でここまでの出来なのがすごい。そして視線をもつのは生者の特権か。
パンフレットに記載されていた、許されしもの/許されざる者の深い溝の在処が半端ない。たしかにアルブレヒトは償う意思をもってウィリたちに対峙していた。そして年ごろの女の子の集団は怖い。若い男ひとりくらい簡単に吹っ飛ばす(経験者は語る)
「十字架(ウィリの魔力が及ばないもの)から離れないで」という恋人からの言いつけを破ってなお踊る男は、自分の罪の再現をしたのか。触れることが許されないと分かっていてなお触れずにいられない相手に近づいてしまう罪。パドドゥでここまで萎えるシチュエーションふつうないよね。(最上級に褒めてます)
朝になってウィリたちが消えるときに、確かにアルブレヒトの目つきが変わったのは、何かに気づいたからだろうな。自分の罪の在処とかこれからどうしていくべきなのか、とか。退場の瞬間まで美しいジゼルと、彼女の墓に背を向けて、着てきたマントを手に歩き出すアルブレヒトのその先に、幸せがあってほしいと思わせる終わり方だった。じんわりと暖かくなるような。なぜだか希望が見出せるような。
余談
今回のプログラムに載ってた斎藤友佳理のインタビュー(的な読み物)見開き2pに1500円払うだけの価値はあります。私は小学校のときからこの『ジゼル』の二幕が一番好きだった。肉体を持たない透明な存在であれることに憧れてやまなかった。自分の身体性に対する感情由来だな。いまだに折り合えていないけど、今回柄本さんは「お戯れ」のアルブレヒトを演じていたけど秋元さん(27日)はマラーホフの系譜である「本気」の恋をを演じるようなのでもう少ししたら見たい。そしてそのころには二幕のウィリたちももっと巧くなるだろうから、再演が今から楽しみで仕方ない。
ここの時点で2500時超えレビュー。私の愛は重い!