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古神道の本を読んでみて想ったことVol1

神道は実践の道であり、神社や神奈備などスピリチュアルスポットに赴くことから、神さまを想う、祭事に参加する、神棚を祀る、祝詞を唱える、浄明正直な生活を心がけるなど、普段の生活習慣に溶け込んでいくまでに実践している人はどのくらいいるのでしょうか。

縁あって神社に興味を持ち、普段の生活習慣に溶け込んでいった自分としては、近年youtubeなどの個人配信が当たり前になって、いろいろな学びを得ることも発信することもできるようになったことを喜ばしく思っています。

筋トレやランニングや掃除など興味を持った人が動画を見て実践するように、近年、神道関連の動画も飛躍的に多くなり、比例して興味を持つ人、知識を発信する人、そしてそれらを見て生活習慣にとり入れる人も増えてきた気がします。

最近そのような動画きっかけで知った山蔭神道。その神道本を読んで共感した点をいくつか紹介します。

清明正直

第三章の「禊ぎの思想」にて
清明正直は「清く、明るく、正しく、直(なお)く」が人間として最も大切な事。
「清く汚れなく」、「明るい心」という内面の状態と、
「正しい、つまり悪や罪科を犯さない」「素直」な行いという行動面・社会面のことであるともいう。
この「清明」を保つには、自らの「心の浄め」をしなければならない。その方法が
1.水で浄める
2.祓い物をもって身を浄める
3.汚れた霊との交渉を切る
4.思想を清明に保つ
という説明があった。
その通りだと思う。個人的に付け加えると、
全て内面・行動に置き換えることができる。
「清く汚れない発想、邪念は祓い清める。清潔な生活」
「明るい心、ポジティブな発想、活力のある状態。整理整頓。心に光をあて開放する」
「自分と向き合い正しいと思える行動を選択、悪や罪科に心を惑わされない。調和の取れた姿勢」
「素直、ありのままの心・物事に向き合い、受け入れ、失敗しても改善していく。直す。」

罪・科・汚れ

「大祓詞」に「過ち犯しけむ雑々の罪事は」とあるように、神道における罪(意識しながら犯したもの)、科(無意識な過ち)は未熟な魂が犯す過ちの行為。
人間の内奥にある霊魂は、神からのたまものであって、人が仮に罪を犯したとしてもその霊魂の神髄は無傷であり、罪は行為自体であって、いつまでもその人についてまわるものではない。
その行為は、目に見えない記憶や記録となって、深層心理や肉体、空間や土地、宇宙的記憶によって実体化することがある。
禊祓いによって、河に流し海に流せば、消滅してしまう。

一霊四魂

一霊 直日霊
四魂 幸魂・奇魂・和魂・荒魂
説明は今回省きますが、直日霊が日月神示における内なる神様に近いと思われます。
そして清明正直の習慣によって四魂は磨かれると思います。

天に居る神様と地に居る神様と自らの中に神がいて、一番近いのは自らに問いかけるのは自らの中の神様。その中にまた神様がいて内に外に神様がいる。

神界・浄明界・霊界・幽界・冥界

仏教のように階層で表現している。
幽界・奇跡について日月神示と同様の見解。


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