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時事から読み取るR061220 1970年代に何が始まったか思い浮かべる。
動画を観て気付いたこと。
当時、適齢期を対象として到達できない幻想のゴールをつくり、
幻想の目標と安全と安定を周知し、
刷り込みを行い、価値観を狂わせたメディアの大きな責任。
悪の構造を利用することにかまけて、国民をかえりみようとしない。
当時の政府、官僚も大きな責任。
悪の仕組みを生み出した国内外の工作員たち。
1970年代から何が始まり1990年代から何が起きてきたか。思い浮かべてみれば答えが出る。
すくなくともミスリードで日本の3割の国民の人生を迷わせた。
今回は日月神示が入っています。
説明を省いていますので、かなり抽象的な内容です。
見えてきた仕組み。
実験台としての日本人。
戦時だけでなく平時でも情報のミスリードで日本を路頭に迷わせるメディア。そして省みて改めることをしない。
この気づきによって因果応報(めぐり)という運命ができてしまった。
支配するものは、生み出された支配の仕組みという因縁によって、必ず支配される番が回ってくる(生まれ変わっても)。構造が強固であれば、めぐりは強固に何度でもやってくる。
過ちの仕組みが強固であれば強固であるほど直すのが大変だという道理。
過ちは気づいたら直す。直しやすいうちに直すという道理。
「めぐり」を解消してくれよという道理。
だからこそ皆良しでなければいけない道理。
悪を憎むのではなく、抱き参らせる道理。
「限られた人」による富の占有による支配が強固な仕組みなら、次は当然のように高確率で富からは弾かれることになる。因縁と確率によって引き寄せられる運命。
血でいう何世代も、霊でいう何巡も囚われること。
まさに、それこそが「地獄」だと思う。※もともと「地獄」というものは存在しないのだけど、地獄を作り出している。
つまり、日月神示でいう、「がいこく行き」ざ。
これは宗教問わずの幽界現界の仕組み。
現界から幽界に記憶された想いは、幽界に反映され、現界に還元される。裏と表、表と裏。
「めぐり」を解消するとは怨念因縁を解消すること。幽界の縛りから逃れること。
ただ言えることは、「めぐり」の元が理解できるうちに、チャンスがあるうちに解消しないと、
無知に戻れば、めぐりのまま。
解消するきっかけを得るまで繰り返す、まるで映画のメメントのよう。
世界は一つになったぞ、一つになって神の国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。臣民にはまだ分るまいなれど、今に分りて来るぞ、くどう気つけて置いたことのいよいよが来たぞ。覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりて居ろがな、学と神の力との大戦ぞ、神国(かみぐに)の神の力あらはす時が近うなりたぞ。今あらはすと、助かる臣民 殆んどないから、神は待てるだけ待ちてゐるのぞ、臣民もかあいいが、元をつぶすことならんから、いよいよとなりたら、何んなことありても、ここまでしらしてあるのざから、神に手落ちあるまいがな。いよいよとなれば、分っていることなれば、なぜ知らさぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよく分ってゐるぞ。因縁のみたまにはよく分るぞ、この神示読めばみたまの因縁よく分るのぞ、神の御用する身魂は選(よ)りぬいて引張りて居るぞ、おそし早しはあるなれど、いづれは何うしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりて居るのぞ。北に気つけよ、東も西も南も何うする積りか、神だけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、神と人との和のはたらきこそ神喜ぶのぞ、早う身魂みがけと申すことも、悪い心 洗濯せよと申すことも分かるであろう。八月三十日、⦿の一二か三。
神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。九月十八日、ひつ九⦿。
神は人民には見へん、たよりないものであるが、たよりないのが、たよりになるのであるぞ。外国行きとは幽界行きの事ぞ。時節来て居れど人民心でせくでないぞ、せくとしくじるぞ。あちらに一人、こちらに一人、と云ふ風に残る位むごい事にせなならん様になってゐるのざから、一人でも多く助けたい親心汲みとりて、早う云ふこと聞くものぢゃ。ここ迄神示通りに出てゐても、まだ判らんのか、疑ふのにも余りであるぞ。地に高天原(たかあまはら)が出来るのざぞ、天の神 地に降りなされ、地(くに)の神と御一体と成りなされ大日月の神と現はれなさる日となった、結構であるぞ、肉体の事は何とか分るであろが、タマは判るまい、永遠(とわ)にタマは生き通しであるから、タマの因縁の判る所は九九(ここ)の二(ふ)でより他にはいくらさがしてもないのざぞ。八月二十三日、一二⦿。
今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様 三日此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。旧五月五日、みづのひつ九か三。
心次第で皆救はれる。悪には悪の道、それ知らん善の神では、悪抱き参らすこと出来ん。因縁あっても曇りひどいと御用六ヶ敷いぞ。この世の人民の悪は幽界にうつり、幽界の悪がこの世にうつる。かのととり。一二十
戦や天災では改心出来ん。三千世界の建直しであるから、誰によらん。下の神々様もアフンの仕組で、見事成就さすのであるが、よく神示読めば、心でよめば、仕組九分通りは判るのであるぞ。死ぬ時の想念がそのままつづくのであるから、その想念のままの世界に住むのであるぞ。この世を天国として暮す人 天国へ行くぞ。地獄の想念、地獄生むぞ。真理を知ればよくなるぞ。そんなこと迷信と申すが、求めて見なされ。百日一生懸命 求めて見なされ。必ずおかげあるぞ。神があるから光がさして嬉し嬉しとなるのであるぞ。(一月三日)一二十
不二の仕組とは動かん真理、(ウズウミ)のナルト(成答)の仕組とは弥栄の限りなき愛のことであるぞ。神の理(ミチ)に入り、理(ミチ)をふんで居れば、やり方一つで何でもよく、嬉し嬉しとなるぞ。世の元から出来てゐるミタマの建直しであるから、一人の改心でも中々であると申してゐるのに、ぐづぐづしてゐると間に合はん。気の毒出来るぞ。めぐりと申すのは自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。めぐりは自分でつくるのであるぞ。他を恨んではならん。美の門から神を知るのが、誰にでも判る一番の道であるぞ。芸術から神の道に入るのは誰にでも出来る。この道理判るであらうが。審判の廷(サバキのニワ)に出たならば、世界は一人の王となるぞ。御出まし近うなったぞ。自分よくして呉れと申してゐるが、それは神を小使に思うてゐるからぞ。大きくなれよ。(一月三日)一二十
悪で行けるなら悪でもよいが、悪は影であるから、悪ではつづかんから早う善に帰れと申すのぞ。先祖は肉体人を土台として修業するぞ。めぐりだけの業をせねばならん。(一月三日)一二十
生命すててかからねば、まことの理解には入れん道理。身慾信心では駄目。いのち捨てねば生命に生きられん道理。二道二股 多いと申してあらう。物の文明、あしざまに申す宗教は亡びる。文明も神の働きから生れたものぢゃ。悪も神の御働きと申すもの。悪にくむこと悪ぢゃ。善にくむより尚悪い。何故に判らんのか。弥栄と云ふことは歩み一歩づつ喜び増して行くことぞ。喜びの裏の苦に捉はれるから判らんことに苦しむのぢゃ。苦と楽 共に見てよと申してあらう。偶然の真理、早う悟れよ。(一月三日)
自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ。自分が神の理(ミチ)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ。輝いているぞ。自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思へ。如何なる悪いことも それは最善のものであるぞ。この道理よくわきまへて下されよ。真の神を理解すれば、一切の幸福 得られるのぢゃ。世を呪ふことは自分を呪ふこと、世間や他人を恨むことは自分を恨むこと。このこと悟れば一切はそこからひらけくるぞ。十のもの受けるには十の努力。
「幽界」は霊界と現界との狭間にできた「めぐり」が生み出した迷いの世界。霊界にも現界にも存在する。人はこれを地獄と呼ぶ。
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