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~太陽の通る道は神様の想いが通る道~vol.21 令和5年の旧正月レイライン

暦は中国から朝鮮半島を通じて日本に伝わりました。大和朝廷は百済(くだら)から暦を作成するための暦法や天文地理を学ぶために僧を招き、飛鳥時代の推古12年(604)に日本最初の暦が作られたと伝えられています。
日本最古の歴史書である「日本書紀」の欽明天皇14年(553)6月の条に、百済から「暦博士」を招き、「暦本」を入手しようとした記事がある。これが、日本の記録の中で最初に現れた暦の記事である。

日本の暦
https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter1/s1.html

太陽暦の西暦(グレゴリオ暦)を採用し、旧暦明治5年の12月3日が新暦における明治6年1月1日となりました。今から150年前です。
それまでの長い間は太陽太陰暦でした。
そして、古墳時代は太陽太陰暦が導入される前の西暦250年ごろから西暦538年ごろです。
これまでのレイラインより日の出、日の入りは古墳時代以前より意識されていたと感じます。
なので、太陽太陰暦が導入される以前と以後では、一年の始まりの概念が異なると思います。

旧暦での正月は季節の節目と春夏秋冬の一年の歳の始まりの日です。
旧正月を春節と呼ぶのは旧暦における春の始まりだからです。
当時の人々が一年の始まりとしての旧暦の正月にどのような思いを寄せていたのでしょうか。

特に注目したことは、正月の宮中行事の四方拝を根拠に、天皇陛下が祭祀を行う場所を中心としたレイラインを確認してみました。
注目する点は、霧島神宮の日の出は鵜戸神宮の方角より迎え入れます。
また、現在の皇居からの西暦の正月の日の入りの方角に鵜戸神宮があります。そして旧暦の正月の日の入りの方角には日向にある龍宮(鵜戸神社)と可愛山陵がありました。
正月と鵜戸神宮と邇邇芸命には相関関係がありそうに思えました。

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