神道・神事・神話における考察の姿勢と着眼点(3)

古より伝えられ、変化、改修の痕跡もありながら、今なお、ありのまま残っているもの。 記紀等の文献であり、万葉集であり、神話であり、神事であり、祭祀を祀る神社仏閣であり、 神名であり、地名であり、生物の名であり、道具の名であり、仕草の名、現象の名であり、 名称であり、言葉であり、文字であり、音であり、イメージである。 

それらは、生まれた時は、イメージを表現した音から始まり、文字や言葉として記される。 
現在残されたものから、表現が生まれた時のことを想像するのである。 途中にあった、変化、改修の痕跡も乗り越えて、文献など残されたものから、名称から、言葉の意図にたどり着く作業が、この考察である。 

音には単体の音、組み合わせた音があり、ある法則によって事象を指し示している。それが「言葉」。 そしてイメージを表現した音には「言霊」が宿るといわれる。 

ここでは、「現在における一般化されている解釈」と、「現在において定義されている数理的論理的に通じた客観的な解釈」と、「現在における主観的な解釈」と分けて考える。

人により持っているリソース(経験・環境・身体能力的制約など)が異なるため、表現の意図を汲み取るのも個人個人で差が生じる。 個人がたどる作業で読み解いた「古今における主観的な解釈」の集合体により突き詰め共通化したものが、真実に近しく表しているもの≒「現在において定義されている数理的論理的に通じた客観的な解釈」と考えます。 なので、自分の解釈は、「古今における主観的な解釈」を目指した集合体の一つとなる。

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