偶然と神様
自分は時折いろんな「偶然」に気づきます。
数字の羅列。
時間や車のナンバーや電話番号やレシートの数字やニュースや会話。
車のナンバーや電話番号やニュースや会話は人の介入が可能です。
時間やレシートの数字は本当に偶然でしょう。でもなぜこの数字がと思うときがあります。そういう時に神様の示しかなと思うときがあります。
でも気になる数字があったときに無意識に脳が察知して気づくということもあると思います。
意識誘導は言葉や数字で行われているということは知っておくとよいと思います。サブリミナルというものです。
意識誘導のことを知らなかったほうが気づかなかったほうが良かったということもあります。意識誘導をしようとする存在に気づいてしまうからです。意図的なものを感じたらそれは悪意として感じられ不気味に感じるでしょう。確かにそれは悪質な呪詛です。心を身を守らなくてはなりません。
祝詞の「六根清浄大祓」を読んで自分に唱えてください。
警察に相談するのもよいでしょう。聞いてもらえるだけで落ち着くかもしれません。メモ・ログに残すことも良い対応です。とにかく出来事は記録しておいて、自分の意識から離すことが大事です。
ここからは、スピリチュアルな話。
ただ、数字に関しては神様も霊も数字を用いるようです。
次元が異なる世界から干渉する物理的な現象は、波動です。そして光です。
光はエネルギーとして作用することもあれば、信号として作用することもあります。
普段繰り返していた、いつもの動作に、異なる要因が入ると、いつもと違った感覚に気づきます。
そのことに気づきやすいのが偏った数字です。
もし、あなたを気にかけている存在がいて、あなたに何かを知らせようとしたとき、あなたが特別な能力を持っていなかったとしたらどのように知らせてくれるでしょうか。そしてあなたに干渉できる方法が光(波動)だとしたら。
と自分は考えます。
情報量が多いときもあります。情報量が多いときは夢のような形で現れると思います。特別な能力がある人なら見えたり聞こえたりする人もあると思います。
これからのお話は、偶然を素直に受け止めて気が付いたことが重なってたどり着いたことです。
自分は昨年末ごろに日月神示に興味を持ち、その中に出てくる祝詞を唱えるようになりました。
日月神示にはいくつか祝詞が登場します。はじめは「水の巻」にでてくる「あめのひつくのかみ まもりたまへ さきわへたまへ」「あめのひつくのかみ やさかましませ いやさかましませ」を唱えておりましたが、
何月ごろかは忘れましたが、上記の祝詞をすべて唱えるようにしました。
ひふみ祝詞は普段から唱えていた韻の取り方を変えました。
いろは祝詞とあいうえお祝詞は不思議に思いつつ、書いてある通りに唱えました。
いろは祝詞の祝詞から、4月ごろより始めた百人一首の曲作りで8月に第九首の小野小町の曲のための歌詞つくりに取り掛かったときに、いろは祝詞の発見をしました。
そして、「アイウエオのりと」を唱えていたため、ある記事のあるメモ写真を見てそのすごさに気づきました。
20年ほど前にTVを観ていて、一瞬映っていた、バチカンのとある場所の今は何も無い場所の床に汚れだと思われていた模様があって、それは日本人が見れば五十音のCODE表と同じ意味を持つものである事を理解するタイルだったそうで、その内容をメモに書いたそうです。
あ、「イアオウエ」だ。
発見した記事に気づいただけですが。日月神示だけに何かの導きのように思いました。