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神の書:鬼滅の刃から読み解く④「痣者=超高血圧」
こんにちわ、キャサリンです!
今回は鬼滅の刃での超重要要素である「痣者」について妄想していきたいと思います。
痣者とは?
全集中の呼吸を一定以上極めた結果
・心拍数が二百を超える
・体温が三十九度以上になる
という条件を満たす事で、身体に鬼の紋様に似た「痣」が発現した者達の総称。
痣が発現した者は身体能力が飛躍的に上がり、鬼から受けたダメージが通常では考えられない速さで回復する。
これにより、上限の鬼のような強力な鬼とも戦えるようになる。
「痣の者が一人現れると、共鳴するように周りの者達にも痣が現れる」
と言われている。
また「痣の力」は無限ではなく、あくまで「寿命の前借り」であるらしく、「痣者は例外なく二十五歳を待たずに死ぬ」とのこと。
この能力について気になる点があります。
この痣は「鬼の紋様に似た」ものだと表現されていることです。
また、痣者は傷の回復速度が非常に速くなるとのこと。
つまり痣者=鬼化、なんですよね。
そして、これだけの体温と脈拍数ということは血圧もものすごく高く維持されていることでしょう。
むしろ本丸は「血圧の上昇」なのでは?と思っています。
鬼の肉体の仕組みについての詳細な解説は作中にはありません。
作中描写があったのは「鬼は人間(動物も一応は可能)の血肉を食糧とする」とのことです。
(珠代さんに関しては自身で肉体改造をした結果、紅茶のみ摂取できるとようになったとのこと)
鬼はどうして人間の血肉を喰らうことが必要だったのか?
それは、鬼が「日光を浴びられない」ことに関わってくるのではないでしょうか。
人間は太陽光を浴びることで、さまざまな生命活動を維持しています。
しかし鬼はその太陽光を浴びることができないので、肉体の維持のためには別の何かを摂取することが必要となってきます。
太陽光を浴びている人間の健康的な血肉を摂取することで、間接的に肉体を維持していたのではないか。
随分と長い間、高血圧は悪だ!という偽情報のもとで、特に日本人は意図的に降圧剤を飲まされ続けてきました。
健康な人に「あなたは病気です」と洗脳をして、不健康になるための薬を飲ませ、膨大なお金と利権が得る。
医療マフィアたちが長年行ってきたことです。
血圧が低いということは、心臓から血液を送り出す力が弱いということです。
心臓は綺麗な血液を全身に送り、汚れた血液を回収して肺に送る働きをしているため、意図的に血圧を低くして良いわけがないのです。
現に私は心臓に持病があるため血圧が低いのですが、日常生活に支障をきたすことが多いです。
歯科の麻酔を打った時に、一気に血圧が下がって気絶しかけたこともあります。
血圧が低いため低体温にもなりやすく、冷え性です。
特そして特に冬場の寝起きなど、低血圧・低体温極まれしときには、意識は起きていうのに体が言うことを聞かなくてめまいを起こして転倒することもままあります。
しかし数値だけ見ると、病院等で理想的とされるお手本の血圧です。
私は自分自身の肉体の実感として、この血圧が健康だなんて嘘だとわかっているのですが、この血圧を目指すべく薬を飲ませている現代日本の医療に対して、非常に憤りを感じています。
次に、痣や鬼の紋様とは何か?を考えていきたいと思います。
痣者や鬼の紋様とよく似たものに、縄文人の刺青があります。
縄文人は刺青や土器をはじめとして、「紋様」に強いこだわりがあったことがわかります。
これに対して「文字を持たないから紋様を使うしかなかった」と思われがちですがそれは誤りです。
縄文人は高度な文字文化を有していたので、彼らにとっての文字と紋様には別の意味があったと考えられます。
文字と紋様の違いとは。
文字とはすなわち、情報の簡素化・省略化・限定化・効率化です。
「ソラ」といえば頭上に広がる空のことですし、「アメ」といえば、空から降る水の粒です。
文字を使うことで「自身が意図した〝モノ〟を断定して伝達できる」んですね。
しかし、紋様はそうではありません。
紋様から受ける人々の感想はさまざまです。
あるひとは「大海の中でうねる波のよう」と感じ
またあるひとは「なめらかに舞う龍のよう」とも感じるでしょう。
見た人の感想が一箇所に集約されないため、効率的な伝達方法とはいえないでしょう。
しかし、それにこそ意味があったのだと思います。
文字というのは情報を固定化しますが、紋様はそれを幾重にでも柔軟化します。
つまり、その紋様のもたらす影響力がは実に多岐にわたるということです。
そして、紋様というのは自然風景をもとに作られています。
縄文人にとって自然とは神(宇宙)であり、その中に自分自身が存在しているというのは当たり前の感覚だったと思います。
そのため、自然風景をその身に写す紋様の刺青によって更に自然と一体になろうとしたのではないでしょうか。
あまりに高度な縄文文明(文字が存在しているので文化ではなく文明です)について、昨今では多くの関心が寄せられています。
文化ももちろんですが、おそらく人間の身体能力についても、現代では考えられない超感覚を有していたと考えられます
(こちらについては過去のブログで触れています)
我々の常識では考えられない身体能力といっても、肉体構造が違うわけではありません。
同じホモ・サピエンスなのですから、基本的な肉体構造は同じです。
しかし「体の使い方が違う」のだと思います。
現に鬼滅の刃でも、痣者になったからといって肉体構造が変化しているわけでなありません。
痣が出た途端に筋肉量が増えた、体が大きくなった等の描写はありませんでしたからね。
「体の使い方が違う」
この視点は、我々現代人にとって非常に需要な視点だと思います。
洗脳からの解放が急務。
よしなに。
令和七年二月七日
キャサリン拝