2021年を生きていくために、やっておきたい振り返り
さあ、30日です。というか30日も残り1時間を切りました。
みなさん、今年の清算と来年の見通し、できてますか?
いやまあ、今年の総清算ってたぶん例年よりだるいと思うんですよね。でも、それを踏まえたうえで今年の清算って大事なことだと思うんです。
禍福はあざなえる縄のごとし
今年はいろいろなことがありました。ありすぎたかもしれません。例のウィルスを抜きにしても、社会、政治、経済、いろいろなところで変革、あるいは爆発が起きました。
それはウィルスが直接的な原因のこともあれば、ウィルスは単に引き金でしかない、それまでにすでに様々なものが溜まりに溜まっていたという場合もあります。
正直、いいことより、いやなことの方が多かった、と感じている人も多いのではないでしょうか。わかります、僕もその一人ですから。
でも、そういう感覚の一年だからこそ、その数少ない「いいこと」をしっかり拾い上げていきたい、来年以降を生きる糧にしたいよなって思うんです。
・様々なイベントが中止になる中、あれは無事実行できた、楽しかったな
・ネット空間で生きていけるとかいうけど、対面の空気も重要だったな
・運動って、体を動かすのって、大事なんだなあ!!運動してえ!!!
などなど。
こういう状況になったからこそ日頃身の回りにあるものの大事さがわかった……みたいな言い回しって、結果論みたいなものなので僕はあまり好きではないのですけれど、それでも取り上げられることで、距離を置くことでそれの大事さがわかることもあるのは、幼少期の習いごととか無邪気に馬鹿やってた小中高の思い出などをみれば、否定はできないと思うんです。
章タイトルの「禍福はあざなえる縄のごとし」って言葉。これは古代中国の歴史書『史記』にて著者の司馬遷が戦いの一つを評価する際に喩(たと)えた言葉で、
「良いことと悪いことは、縄が糸が交互に交わって編まれていくように、トータルで見るとわりかし均等に起こるもんだ」
ということを意味しています。
今年という短い一年に限っても、それはきっと当てはまるでしょう。
もちろん厳密に比較したらどう見ても悪いことの方が多い年だったのでしょうけれど、一見して「悪い年だった」からといって、「今年はろくなことがなかったな…」となるのは、来年も暮らしが続くという現実に対してあまりに酷な評価ですし、なにより。
せっかく少なくも起こってくれた「よいこと」たちが、あまりに不憫だな、と僕は思うのです。
ですからみなさん。残り一日ではありますが。
スケジュール帳をもう一度パラパラとめくりなおして。斜線や二重線を引かれることなく行われたいくつかのイベントを。この状況下でも行えた、幸いなる数少ないイベントを。
そして、記録するほどではないが脳裏には浮かんだいくつかのちょっと良かった出来事を。
思い出してみては、いかがでしょうか。