”血”の呪いが選択不可能な道を選択する/ウィリアム・フォークナー『八月の光』

どんな小説にも言えることですが、この「八月の光」を面白く読めるかどうかは、登場人物や舞台となる土地(町)にどれだけ興味と愛情が持てるかということに尽きると思います。

「八月の光」は複雑な構造を持つ小説です。禁酒法時代におけるアメリカ南部の町ジェファーソンで起こる殺人事件と火事が一つの集約点となっており、その集約点を「現在」の軸として、ただならぬ過去を背負った登場人物たちと、取り残された土地の凶暴性を孕んだ呪縛をリンクさせ、宗教を含めた「正しさの暴力」によって人間に取り返しのつかない強烈な影響を与えてしまう恐ろしさなど、フォークナー独特の手法を用いて立体的に描かれています。

健全で忍耐強い心の持ち主であるリーナや、彼女の助けになりたいがために葛藤するバイロンには崇高さを感じますが、言ってみれば、彼らは世間に受け入れられる存在です。それに対して、そこにいるだけで人の感情を刺激するクリスマスや、凄まじい迷路のような頭脳を持つ牧師ハイタワーは世間から疎まれ孤立する存在であり、彼らの過去は迫力と緊張感を持って語られ、または町の人々の噂話や自身の回想という形で綿密に描かれています。

自分が白人か黒人か分からないというクリスマスの孤独と苦悩は宿命的なものと言えますが、たとえ彼の中に流れる血が白人であれ黒人であれ(あるいは両方でも)、クリスマスの血はクリスマスの血です。そう理解していたに違いない女性バーデンは、その「個」としての彼を受容し、愛そうとしたのだと思います。しかし彼の世の中に対する絶対的な不信感は、“汝を愛せ”というキリスト教の思想を完全に消滅させてしまっています。彼女の行いや言動に対する彼の極端な態度は、彼女の祈りを全力で否定しているように思え、抗うことの出来ない黒い血の強迫観念にクリスマス自身が徐々に身を委ねていったように感じます。彼が切望し求めていたものはもはや「愛」ではなく、人に放っておかれることで得られる「心の平穏」だけだったのではないでしょうか。
(ある章で、クリスマスが谷のそばにある樹に持たれて雑誌の小説を読み耽る場面があるのですが、孤独ながらもその瑞々しく静かな場面は印象的です)

この小説において、生まれてくる子供への確固たる愛と帰属性を信じている勇気ある女性リーナと、自分の曖昧な帰属性に苛まれる殺人犯クリスマスとの対比という見方が定番なのかどうか分かりませんが、私個人は根無し草のように彷徨い続けるクリスマスと、ジェファーソンに留まり続ける牧師ハイタワー、という見方が自然でした。二人ともとても魅力的に描かれていると思います。

また舞台となっているジェファーソンという町は、さして豊かでもなく歪んだ見識と噂で成り立つ、ある意味で人間的な町です。クリスマスやハイタワーが異端なのか、それともこの町が異端なのか分からなくなりますが、世界のどこかに(あるいは日本のどこかにも)存在するような、そして現代にも別の何かに置き換え可能な救いがたい難題の象徴と捉えることもできそうな気がします。

主題も明と暗とに別れ、なかなかやっかいで一筋縄ではいかない小説ですが、様々な側面が描かれている中で肉体と精神の帰属性や“血”の本質を問う、普遍性あるフォークナーの力作だと思います。

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