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母性は二種の相反する要素を持ち合わせている


今回書きたいのは、この身を削って感じてきた、この世で最も優しくて残酷な「母性」について

母性と聞くと何を思うだろうか?


慈愛?世話好き?

ちょっと鬱陶しい?

優しいママ?


違う?


読者全員の人生で左右されるであろう解釈。

きっとここには私のように、母という言葉そのものに悍ましさを感じるような被虐児童もいるだろう。


マリアのように優しい母のもとで育った人もいるだろう

そして普通の母。


私は人生で自分の母親をはじめ、沢山の大人の女性と関わって年上ばかりが周りにいる状況、例えば看護師さんやケースワーカーさんなど身の回りに深く関わる方が多いです。

その中で感じた苦しみも優しさも、同じもの、母性が関わってると思いました。


人間は誰しも一人の個人であり、どんな場所...仕事や休日で切り替えはしますが、どんな場所でも、根底の本性は滲み出ると思っています。


例え事務的な関わりでも本性は出ると思います

そして母親の場合もそうで、母親は子供とセットではなく一人の人間なのでここでも思いっきり本性が出ます


「性質」がどうしてもみんなあるということです

私にもあります。


その本性、性質、個性に本能がかけ合わさった時に、オリジナルの母性が生まれると考えています。

例えば私は今まで通院をずっとしており訪問の看護師さんと月に何度かお話しの機会をいただいたりしていますが、担当の方それぞれの優しい言葉や考え方や受け止めてくれ方があります。

優しいにも種類があると感じました。

先日就活の面接前にコンビニで顔を真っ青にしてトイレを借り、戻っておにぎりを買った時にレジの快活な女性が、顔色を心配してくれて、面接前でお腹を下してるんです。緊張してしまって...と話したら、全く知らない相手で初めて会った相手なのに、「大丈夫大丈夫!!!あんた気合い入れたら絶対いけるで!!!!行ってらっしゃい!!!」と最後に明るく大きな声で言ってくれて、頼もしくて力強い母性を感じました。

看護師さんとか役所の担当のケースワーカーさんも形は違えど「背中を押してくれます」。


そしてもう一つ母性を感じる場面について


住まわせていただいてるホームの管理者さんと、相談員さんです

私が就活を積極的に進めていること、履歴書が通ったこと、私は文字を書けないので手を震わせながら書いた履歴書、お二人と面談の時にすごく喜んで、通りました!!!今度面接なので応援してください!!!と言いました。

二人はおー!とか頑張ったね!とか言わなかった。

静まりかえって説教のような雰囲気になって狼狽えた。

内容は食肉の加工だと伝えたところ、

二人が言ったことはこう。

「正直に言わないといけないと思うからあなたのために言うけど、行動が飛躍しすぎ。全くステップを踏んでないし計画性がなくて不安になる」


「なんで一気に動くの??」


「うわー、かなり無理ある」

「まあ経験としてはいいんじゃない?それより...」


ものすごくショックでしたし、私の母親が思い出されて苦しかったです。

色々と説教が始まってしまい、児童の頃ような感じの立ち位置になってしまい、言うことを聞いてステップを踏めと言われて、それでやっと少しは成長できると言われて、頼りなさいと言われ、

毒っ気のある母性を感じた。

子供を束縛する、囲い込む親のことです。私の母親もそうだった。
暴力こそ酷かったけど、子供に依存してたので学校に通わせなかった。

鉄の処女(中にたくさん棘の付いた、閉じ込める拷問器具)に押し込められるような息苦しさを感じてめちゃくちゃ母性だと思った。

中は棘だろうが、表から見たら聖母てきな。


その表裏一体が悍ましいときが多いです。


子供のためを思って旅への後押しをしてくれる母親。

子供のためを思って籠の中に閉じ込める母親。

これらの要素は、コインの裏表のように全く同じものから来てると思います。


そしてそれらに適応する子供のタイプにもよるとは思いますが、私は後者に適応できないのでとてもくるしい。

トラウマが誘発されてしまう

私の大好きな曲があり、DIR EN GREYのCageと言う曲なのですが、幼い頃に虐待を受けた主人公がやがて大人になった時、被虐を求める人になり、母親代わりのサドな人を求めて縋るのですが、最後は幼い頃のトラウマ=受けた暴力を自分がやってしまい大事な人をなくす。その内容が悲しげなロックで表されています。

この曲は衝撃を受けるほど被虐待者としては共感しました。

Cageの歌詞。興味あれば聴いてみてください。

「僕には優し過ぎたのかなあ?」

最後あたりのこのフレーズが、生々しいです。

虐待と言う環境は、歪んだ行為の数々を「愛」と誤認させてしまいます。

私も自分から傷つく選択ばかりをする時期があった、「私にとっての母性は虐待と言う独裁だった」

んです。

そうとしか学ばなかったからです。


だから私は将来子供を育てたくないし、私の現在の性格めちゃくちゃヒステリックで、毒を
「学んで」しまったんです。

悲しいことが繰り返されると思うので、子供は作りません。

ここまで読んで、どんな解釈で母性を受け止めますか。


色々書きましたが、私の見つけた心の矯正方法、アダルトチルドレンの脱出方法があり、友達や他の人の家庭の色々な母親を見て、本来あるべき母親像を見つけることです。

現在よく交流する友達が二人いますが一人はラインでよく話しておりもう一人はリアルですが、友達のママと関わると不思議な気持ちになり開放感を感じます。

昔は母親と言う存在そのものがモチーフとして恐ろしかったのがだいぶ落ち着きました。

私が過ちを繰り返さないように、そして世界を悲観しすぎないように、やんわりとした言い方ですが健全な母性を見分け、毒を薄めていきたいです。

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