八月の終わりと変わる風向き

 ついさっき、友人から電話がかかってきた。内容は、まだ働く先が決まっていないなら自分が今いる福祉施設の見学にでも来ないか?という話だった。大まかな説明の通りであれば、障害を抱えた人が集まる学校のような場所で事務的なアルバイトをしてみないか?という事らしい。とはいえ、いきなりゼロから労働をするかしないかの選択をするのは何の実感も湧かないだろうという友人の配慮で、望むなら見学会のようなものを開いてくれるということらしい。とても有難いことなので、その話は二つ返事で受けることにした。

 ここ一週間は就労支援センターへの通い以外に特に書くことはなかった。そこでパンフレットを貰って、一月から六月まで半年間の電気技師系統の職業訓練を受けてみてはどうかという話をされた程度だ。エアコンの取り付け等を現場でする職業の需要が高まっているらしく、そこで訓練を受ければ殆どの確率で就職できるとのことだ。だいぶ肉体的な訓練になりそうなので、覚悟はいることだがニートが就職できる可能性を考えれば全く悪くない話だとは思う。

 それ以外では友人と一度食事に行き、殆どの時間を読書に費やし、散歩と筋トレをし、たまにnoteを書いていた。一週間がたった三行で終わってしまうのは、自分でも驚くばかりだ。

 しかし、ただ待っているだけだと僕は一月までの間に免許を取ることと通院をすることと読書くらいしかやることがなくなってしまう。就労センターの方には焦らないことと言われてはいるものの、やる気になって三ヶ月も何もしなくていいというのもそれはそれで酷だ。いや、免許の取得はすごく大変なことなのかもしれないが(周りの大人は免許なんて何ということでもないように話すが、僕の尊敬するクイズ王の井沢拓司さんも免許の取得には苦労したという)

 その間にもしも、アルバイトが出来るというのであれば渡りに船だなと感じた。そしてその話を友人からされた時に少しずつ風が吹いてきているんじゃないかと思えたのだ。

 たった二ヶ月前に虚無的な誕生日を迎えてから、もう九月になろうとしている。暦の上ではそろそろ夏も終わり、秋になる。季節が一つ移ろう間に僕が進めた歩みなんて、社会の人々からすれば蟻よりも小さな一歩だろう。それでも、社会の基礎を何も知らない(邪道ばかり通ってしまった)ニートからすれば、どれも大きな転換なのである。風向きが変わったと感じられるくらいには。

 生活の変化への恐れも緊張も確かにあり、眠れない日や朝早く目覚めてしまう日もある。それでも僕にとって最も幸福なのは、励ましてくれる友人たちがいることだろう。僕はNoteの最初の回に『優しさなんて何の役にも立たなかった』というようなことを自虐的に述べた。今はひょっとすると、それは間違い(言い過ぎ)だったのかもしれないと思う。僕が振り撒いてきた善意の蓄積が、こうして長い時間かけて今少しずつ返ってきているのかもしれない。それは今風にいえば、決してコスパが良いものではないがとにかくそんなことを感じている。

 とにかく、少しでも何かが変化しているということが今はとても嬉しい。

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