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ニートが老人ホームへボランティアに行った話 8/21

 昨日の夜に突然、知り合いから連絡が来た。「老人ホームへ楽器演奏のボランティアに行くんだけど、ギターのメンバーにドタキャンされてしまって暇だったら代わりに弾いてくれないか?」という相談だった。……確かに、僕はある程度ギターが弾ける。しかし、それは独学だし歌に合わせてコードによる伴奏が出来るくらいで、指の動きが複雑なソロなどは到底無理だ。そういう意味ではギターが弾けると言い切るのはおこがましいかもしれない、精々音が鳴らせるくらいのものだろうか。そんな素人のお遊びでボランティアとはいえ人前で演奏などする資格があるだろうか、他にもっと適任がいるんじゃないか……と考え、明日21日が平日であることに気がついた。なるほど、他の人たちは仕事があるので急には呼べないからニートの僕に声を掛けてきたんだな、と合点がいった。正直、そのメッセージを見てすぐには断る以外の選択肢が浮かばなかったが、しばらく悩んでからこれも脱ニートの為の経験になるのではないかと思い至った。老人ホームがどんな場所で、そこで演奏をすることがどんなことか、全てが未知数だったがやれることは身体が付いてくる限り全部やってやろうと思い「わかった、やるよ」と返事をした。返事をスマホに入力する指先は小刻みに震えていた。その後は、相手と当日の軽い打ち合わせをし、本番前のリハーサルの為の集合時間が設定された。時刻は午前10時だった。なんと、ニートは二日連続で早起きをする羽目になったのだ。

 今日に限って何故か睡眠薬の効きが悪く、一度目に起きた時は4:44分だった。寝ぼけていたが、偶然にしては数字の並びが不吉だったので記憶に残っていた。もう一度目覚めた時は既に9時で、集合の一時間前だった。何だか、起き上がった瞬間から酷く精神に負荷がかかっていることに気がつきロラゼパム(気分安定剤)と止めていた煙草を一本だけ吸った。それから、慌てて身支度を整え、ギターを背負い、大急ぎで自転車のペダルを漕いだ。着いたのは約束した時間よりも5分遅かったが、集合場所にはまだ誰も来ていなかった。音楽系の人間というのは、基本的に社会不適合者なのだ。

 結局、計四人のメンバー全員が揃ったのは10時半を回った頃だった。演奏する曲目は昨日の時点で教えられていたので、待っている間は黙々と自主練習をして過ごした。結局、僕がやることはコードをジャカジャカ掻き鳴らすだけなので曲さえ覚えてしまえばやることは単純だった。最後に来たメンバーがペコペコと皆に頭を下げながら、遅刻のお詫びとしてドーナツと飲み物を全員分差し入れに持ってきた。こういう時に、お詫びで許す人間とそんなものを用意する暇があったら一分でも早く来いと思う人間がいるらしい。僕はそもそもニートなので、誰をも咎める資格がないのでどちらでもいいことだが。

 リハーサル自体はとても順調に進んだ。老人ホームでの演奏ということで曲目は誰もが知っている歌謡曲の為、難しいテクニックは要求されないからだ。しかし、一つだけ問題が起こった。事前の打ち合わせでは、老人ホームの施設内で電子楽器を使える予定だったのだが、今朝再度確認をとったところ設備の関係上で難しいと返事が来たらしい。相手側の不備に思うところはあれど、文句を言ったところで仕方がないので、急遽メンバーでアコースティックの楽器を持ち寄って演奏することになった。だが、エレキベースを担当していたメンバーがウッドベースは弾けないと言い出した。幸い、僕はウッドベースの経験も多少あったので、アコースティックギターなら何とか弾けるという彼と役割を交換することになった。本番の三時間前にこれだけドタバタして、本当に何とかなるのか不安な気持ちと、どうせなるようにしかならないという諦念が織り混ざった気持ちで練習を続けていた。他のメンバーもだいたい同じような気持ちだったんじゃないかと思う。

 メンバーの車に乗せてもらって、老人ホームに着いたのは本番の14時少し前だった。施設は最近出来たばかりなのか、なかなか綺麗で入り口にはバイオハザードの研究室に入る時のような番号か指紋でロックを解除する厳重な扉がついていた。老人ホームという場所には初めてきたが、こういう設備は他の場所にもあるのだろうか。それともここではそこまで徹底的に出入り口を管理しないと何か問題が起こるのだろうか。そんな疑問を秘めながら、楽器を担いで入り口付近まで近づくと、予め我々の来訪を知っている職員が出てきて、楽器や荷物の搬入を手伝ってくれた。別に慣れてしまえばどうということもないが、ウッドベースの大きさ重さに職員が少し戸惑っていたのが何だか面白かった。

 四人で入るには狭い控え室に通され、最後の打ち合わせを済ませるとすぐに本番が始まった。老人の方々に温かい拍手で迎えてもらって、ゆっくりとステージに上がる。施設なりに頑張ってはくれたのだろうが、どうにも幼稚園のお遊戯会みたいな素朴なステージだった。おかげで上がりきる頃には緊張自体はかなり和らいでいた。文化祭でライブをするくらいの心持ちでいたが、実質的にはホームパーティの延長みたいなものだったからだ。

 メンバーの自己紹介を済ませ、演奏会が始まると、瀬戸の花嫁や木綿のハンカチーフなどの懐かしい(当然、その曲が流行った頃には僕らは生まれてすらいない)曲を弾いていき、即席集団なりにお粗末ではあるが聴けない訳でもない演奏を30分ほど続けた。老人たちや職員の方々も手拍子をしてくれたりして、楽しそうだった。正直、その辺にあるライブハウスなんかよりもよっぽど観客の雰囲気はよかった。

 しかし、プログラムの最後の曲が終わった時に、想定外のことがあった。老人の方々からアンコールが湧き起こったのだ。殆ど全員で手拍子と共に行われるアンコールに、何だか大物アーティストにでもなったような気分だった。だが、僕らは予備の曲なんて用意していなかったので、互いに顔を見つめあってヒソヒソ相談することしか出来なかった。このままでは埒があかないので、かなり緊張したものの僕が一曲演奏することを提案した。こういう時に自らやると言えることが脱ニートへの一歩だと思ったからだ。メンバーには、僕が学生の頃に暗譜していた上を向いて歩こうを弾き語ると説明し、入れるところから演奏に加わってくれとお願いした。決めたのは自分だが、心臓の鼓動がわかるくらい緊張していたので、入りは上擦ってしまった。勢いだけで何とか二番まで歌い切ると、聴衆の人々も一緒に口ずさんでくれていることに気づいた。少しリラックスして、他のメンバーの演奏も聴く余裕が生まれた頃には、会場に一体感があった。最後はすっかり緊張を忘れていて、気分が良いくらいだった。

 沢山の拍手を浴びながら、今度こそ最後の曲を終えてステージを降りる。すると、近くに座っていたマダムの方々から「あなたとってもハンサムね〜、見てるだけで寿命が伸びちゃうわ〜」なんて黄色い声を掛けて頂いた。それは、何となくお世辞のような感じはしなかった。ニートの顔面を褒めてくれるのなんて亡き祖母か病み垢のメンヘラ女性(彼女たちは構ってくれるなら誰でも褒める)くらいのものなので、とても嬉しかった。弱者男性は例え褒めてくれたのがお年寄りだとしても自己肯定感が上がるのである。僕は感謝をこめて、何度も客席の人たちに頭を下げて会場を後にした。

 それから、施設の方々や他のメンバーにも挨拶をしてお礼の品(ボランティアなので現金ではなく、現物支給になるらしい)を幾らか頂いてから解散になった。演奏会の打ち上げは、お金がないので適当な理由をつけて断った。僕を誘ったメンバーだけが僕がニートであることを知っているので、彼は申し訳なさそうだったが、気にするなと念押しに言っておいた。ニートが人に気を遣わせてしまうなんて大罪なのだ。

 それにしても、老人ホームという場所は僕が外から思っていたよりも実に人々が生き生きとしていた。皆、子供みたいに目を輝かせながら楽器などに興味を持って質問をしてくれたし、こちらから煽らなくても手拍子や歌を唄ってくれた。それはこの施設の運営がとりわけ素晴らしかったのかもしれないし、他の場所ではそうもいかないのかもしれない。だけど、今回の件は僕にとって一つ良い経験になったのは確かだ。自己肯定感が養われた気がする。もし、今回の演奏会が何か老人の方々にも良い刺激を与えられたならそれほど嬉しいこともないな、などと少し欲深いことも思った。

 帰り道、疲れた身体で自転車を漕ぎながら風を浴び、たまにはこういう汗をかくのも悪くはないなと思うニートでした。

 今日の日誌はここまで、読んで下さった方はスキを頂けると社会復帰への励みになります。

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