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ニートが精神科の検査結果を聞きにいった話 8/19

 今日は久々の通院日、恐る恐る電車に揺られながら千葉県柏市へと向かう。……と書くと、ほんのりした嘘を吐くことになる。実は、先月の時点で一度目の診察自体は済ませているからだ。正確に言えば、今日はその時に受けた発達障害の検査結果を聞きに来たのだ。

 平日の昼間なのに何処から現れたのかもわからない沢山の人々でごった返す柏駅、まさかここにいる全員が同輩(ニート)という訳でもあるまい。しかし、社会経験の無い僕の狭い了見では一体どういう職業についていれば平日のこの時間帯から駅前を彷徨えるのかなど、到底思い付かなかった。そんな取り止めもないことを考えながらクリニックへ入る。そこには、想像よりも多種多様な心を病んだ人間が待合室で順番を待っている。地域やクリニックにもよるだろうが、精神病患者というのは世間が想像するほど画一的な存在ではない。杖をついた老人もいれば、いかにもヤンキーに見える金髪で大柄のお兄さんもいるし、新生児の乗ったベビーカーを押すお母さんもいる。大体の人が『メンヘラ』と言われると想像してしまう、コンカフェ嬢のような外見で、腕が洗濯板みたいに傷だらけで、トー横やグリ下に集まりメジコンをODする若い女性……という限定された像は、インターネットが作り上げた一種の幻想(ミーム)であり、その実態とはかけ離れている。見たところ、患者は人口ピラミッドをそのまま反映したような形で、むしろ若者よりも老人や中年の方々が多かった。人口に一定の割合で精神病患者がいるのだから、よく考えれば自然なことだけれど、そういう直感的な偏見は体験でしか振り払いにくいものだと思う。まぁ、人のことはとりあえずどうでもいいだろう。社会の輪から外れたニートが社会的な分析をしようとすることに何の批評性もない。

 それから、なんやかんやでシステマティックに僕の番号が呼ばれて、診察室へ入ると精神科の先生にしては妙に快活で軽薄な雰囲気の主治医が現れる。入室して挨拶と数回言葉を交わした後で「でね、この間の検査結果⚪︎⚪︎さんは発達障害とADHDどっちもひっかかってるね。今まで辛かったのはそれの所為ってことだね」とあっけらかんと言ってのけた。数秒の沈黙の後に僕は「そうですか……」と笑いながら返答するのが精一杯だった。この十二年ほどの苦労は言語に現すとあまりに簡単にだったからだ。これだけ長くニートとして人生を過ごした根本的な原因は、発達障害とADHDによる気質の所為らしい。なるほど、降ってわいた病名にはあまり現実感がないが、事実を飲み込むまでにそう時間は要さなかった。「病名のつかないただの無能です」と言われるよりは精神的なダメージが遥かにマシだろう。

 とにかく、先生には長期間のニートを脱却して、何らかの形で就労したいという旨を伝えた。すると、先生からはそれらの特性をよく考慮して就労先を決めた方が良いとのアドバイスを頂いた。明確に、高速度でのタスク処理が求められる業種や多人数と柔軟なコミュニケーションを求められるような接客業は避けた方がいいとのことだった。しかし、個人的には世の中のアルバイトというものの大抵は上記の条件が当てはまってしまうのではないかと思う。コンビニ、飲食店、アルバイトといえばで思いつくような業者は大抵僕の病気には合わないということなのだろう。これは、脱ニート開始早々に雲行きが怪しくなってきた。

 その後「ADHD用の薬を試してみようか」と先生に言われ、いつもの睡眠薬に気分安定剤と新しい薬を処方され「では、お大事に」というお決まりの挨拶と共に十分にも満たないような診察が終わった。隣接する薬局へ処方箋を渡した時、丁度、神村学園vs大社高校の試合が大画面のTVで放送されていた。6回の裏でスコアは3-2だった。僕は、全員が島根県出身の公立高校が並いる私立のエリート学校たちを薙ぎ倒して、優勝の栄光を手にすることを期待していたが、祈りは虚しく丁度エースの馬庭くんが打ち崩されたところで僕の薬が出来上がり、新しくレパートリーに加わったストラテラの説明を受けて薬局を後にした。

 六時を過ぎた帰路の空は厚い雲に覆われて、遠くに稲光さえ見えたが、結局は家に着くまで雨に振られることはなかった。それは、今日の僕に齎されたほんの小さな幸福だったと思う。

 明日は朝から地域のサポステで就労についての面談があるので、今日の診断を材料に相談してみようと思う。サポステの担当者はこのレベルのニートには慣れているだろうか、それとも匙を投げられてしまうのだろうか。その辺りの相場もわからないのがやはりニートがニートたる所以なのだろう。自分の無知や至らなさを謙虚に受け入れて生きていくしかあるまい。

 今日はここまで、読んで下さった方はスキを頂けると励みになります。目指せ、脱ニート。


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