
フロレス・ナイチンゲール「看護婦の訓練と病人の看護」より
【看護婦(師)はどうあるべきか】
ナイチンゲールは、真に優れた看護師であろうとするならば高い人格の人でなければならないと言っている。優れた看護師は自分自身が、陰口一つ立たないような、そのような雰囲気がごく自然に身についていなければならないとしている。心に留めておかなければならないことは、看護、特に病院看護を行う上で重要で気の抜くことのできない仕事の特殊性である。
ナイチンゲールは、看護師とはどうあるべきかを説明し、次のように言っている。
真面目であること。精神においても飲酒に関しても節制があり、全てにおいて節度を守ること、潔白であること。たとえわずかでも、患者友人から謝礼金や賄賂などを受け取らないこと。真の真実も大切にすること。事実のありのままを人に伝えることができること。
この中には、注意と観察・記憶・表現が含まれること。また、信頼性のあること、目先の務めだけをせず、神が見ていようがいまいが、人が見ていようといまいが、与えられた仕事を聡明に完璧に行うことである。時間を厳守して、几帳面であること。静かに、しかも、手早く行うこと。あわてず、しかも穏やかにすることである。うぬぼれず、分別を思っていること。おしゃべりをしないこと。明るく、希望を失わないこと。好ましくない症状に対しても落胆した様子を見せないこと。好ましくない結果の症状に対して落胆しないこと。患者を失望させることをしないこと。患者のためばかりではなく、自分の為にも細かい点まで清潔にしておくこと。きちんと整頓してやること。自分のことではなく、まず、患者のことを考えること。患者の必要や要求に対して思いやりを持ち、快活で優しく、辛抱強くて心地よく、手際が良いことである。
看護師についての最も優れた定義は、よく引用されるのものである。それは、シェークスピアの言葉の中にあるものであり、「看護師らしさ」とはこのようなことだと言っている。
「これほど親切な、忠実な、勤勉な、患者の望むことに対してもの優しく、真実な、そして、手際がよいこと」
患者の要求は、患者自身の要求に従ったものであって、患者の必要や要求に対して抱いている看護師のこの理論の従うものではない。
看護師は確かに、患者の要求に対して優しい思いやりを持たなければならない。だが、一方では筋のとおった考え方を持っていなければならないのである。看護師は自分の分別を働かせ、訓練のたまものにより、聡明に事を成すこと。看護師はただひたすら患者の幸せの上に注ぐ目を持っていなければならないのである。
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