アナログ最後の時代
この本を書いている2018年現在から振り返ると、1978年は音楽の録音システムが人材と機材において、最も豊かな時代出会ったことがよく分かる。なにしろそこには、吸音と反射音をコントロールできるレコーディング・ルーム、プロの調律師に調整されたスタインウェイのグランド・ピアノ、素晴らしいアナログ・コンソールと精緻なサウンドを奏でるラージ・スピーカー、広々としたコントロール・ルーム、今では涎が出そうなマイク・コレクション、16チャンネルと24チャンネルのアナログ・マルチトラック・レコーダー、そしてそれを自在に操れる腕利きのエンジニアと経験豊かなアシスタント・エンジニアがいるレコーディング・スタジオがあった。そこではエンジニアが録音した一つ一つの音色ごとにトラックシートに楽器名を書いて、録音の地図を書いた。
中略
あんなに大きな部屋と、鉄と真空管と半導体でできていた機材が、全てコンピューターのアプリケーションとなってしまったのである。そして、トラックシートも書かれなくなり、演奏でも録音でも、人の手を動かすという動物的行為が大きく減った。録音という見地から見ると、演奏された振動音を、マイクによって空気と一緒に録音機に取り込むという行為が失われたことが、現代的なポップスにおける音響の退化という意味で最も大きなことかもしれない。
YMOが高い演奏力と深い音楽への見識、そして当時最先端のシンセと音楽用コンピューターを持って飛び込んだのは、今では失われて閉まったレコーディングに関する実に多くのことが、とても当たり前にあった時代だったのだ。
トラックにシートに記載されている録音日は以下のとおりである。
7月10日 ファイヤークラッカー
7月15日 シムーン
7月18日 コズミック・サーフィン
録音日不明 東風
8月8日 中国女
録音日不明 ブリッジ・オーバー・トラブル・ウォーター
録音日不明 マッドピエロ
録音日不明 アクロバット
8月15日 コズミック・サーフィン ドラム修正
8月21日 東風 ベース修正
こう書くとわずか10日で録音を終えたようにみえるが、実際はクレジットにも書かれている通り、7月10日から9月5日まで58日を費やしたレコーディングであった。レコーディングはおおよそ午後6時頃から始まり、トータルでは300時間かかったと言われているので、1日6時間の録音を50日間やったとすれば、だいたい計算が合う。つまり週に1日休むだけで、ほぼ二ヶ月間に渡りスタジオにカンヅメになって作ったということだ。
またトラックシートを穴の空くほどよく見ると、書き直された痕が多数ある。つまり多くの音色が何回も撮り直されているのだ。
(YMOのONGAKU)