禍話リライト:首のない家

 語られたのはよく怪談の話題にされるような、団地にある誰も寄りつかない一角についてだった。

「首がない話なんですけど」



 団地の一角にある綺麗な二階建ての家は「夜叉が出る」と噂されていた。周囲からは『夜叉の家』とも呼ばれていたほどだ。「行くと不幸になる」と近所の人は皆、口を揃えて言った。
 実際、立ち入った後にバイクで事故を起こした人がいる。友人の友人くらいの遠縁ではあるが、話によると左手の指を全て失ったらしい。絶対にしてはならないのにアスファルトに手を触れさせ、ずりずりと削り取られたそうだ。不可解なことに本人も左手を使った覚えが無い。そんな曰く付きの場所だった。

 これは本当に夜叉が出るんじゃないか。いやでも出ないでしょ。まあ、ギターの音がしたら逃げればいい。それ別の知識じゃないか。何せよ音もなく出ないわけがないのだから、何かあったら逃げればいい。

 軽い気持ちで行こうと言い出したのはAさんの先輩だった。車を出す彼を筆頭にAさんを含めた男性三人と、女性一人で確かめに向かったそうだ。家の付近に着いた彼らの目の前には手製の看板が現れた。町内会による進入禁止の警告だった。夜叉が出るとは明記されてはいない。しかし、こんなものが立てられるほどの本気は彼らに伝わった。
「書いてんじゃん」「マジじゃん」「怖いな」と俄に騒ぎ立ったものの、より興味をそそられてしまい、結局家には入ってしまった。

 立ち入った住宅は古びた物ではなく近年、平成のうちに建築されたと予想できた。内部も噂が嘘のように綺麗だが、住人が急に引っ越したのだろうと思わせるくらいには生活臭が残っていた。
 ここに住んでいたのはどんな家族だったのか。仲間内の情報によれば父親が不倫をしたらしい。生々しい事情が自ずと浮かび上がる。痴情が原因の修羅場の大きさで呼ばれるようになったのかと、無駄な詮索をして軽口を叩きながら、彼らは特に怖がりもせず簡単にぐるりと屋内を見回った。
 途中、通りがかった部屋に閉じられた仏壇が鎮座していた。おそらく仏間だったのだろう。引っ越すなら第一に持って行くようなものがそのまま残され、暗闇のなかで異様な存在感を放っている。
 仏壇だけは怖さを与えたが、他に目を引くようなものはない。全員が拍子抜けしてしまっていた。夜叉なんて出ないとふざけ始め、薄れた恐怖による味気なさとつまらなさに各自で捜索しようという運びになった。だが、仏壇だけは誰も見る気が起きない。
 仕方なく言い出した先輩が仏壇を担当し、各々で好きなように動き始めた。

 Aさんは唯一の女性であるBさんと二階に上がった。そこには住人だった男児と女児がひとりずつで使っていたであろう部屋があった。暗がりで確認できる程度に私物が少しだけ残されているのが薄気味悪い。偶然にもAさんは男児の、Bさんは女児の部屋と別れて入っていった。
 男児の部屋には特撮番組に出てくるような怪獣のソフビ人形が二体あった。どうしてか、人形は首から上がなかった。部屋を見渡すと押し入れの中に怪獣の首が転がっている。子どもがふざけて取ったんだろうとAさんは思ったが、断面は真っ平らだ。切れ味のいいもので『すぱっ』と切られなければ、こんな綺麗な切り口にはならないだろう。
 気持ち悪いが、子どもが改造しようとして切ったのかもしれない。Aさんが薄ら寒さを覚えながらも部屋から出てくると、同じタイミングでBさんも部屋から出てきた。
 BさんはAさんを見ると「ちょっと、気持ち悪いんだけど」と彼を呼んだ。呼ばれたBさんに見せられたのは女児向けの着せ替え人形だった。が、これにも首がない。どこにあったのか尋ねると、適当に開けた箪笥の三番目の引き出しにこれだけが入っていたらしい。狼狽えるBさんに、Aさんは自分もさっきの部屋で同じような首のない玩具を見つけたと話した。
 さすがに怖さを感じてきた二人はもう報告だけしようとさっさと階段を降りていく。一階に降りたと同時に、「やべえ、やべえ、やべえ」と先輩の慌てた声が聞こえてきた。
「この家ちょっと、あの正直、夜叉ではないけど、やばい」
「な……な、なにが?」
「仏壇……ちょ、ちょっと俺、入りたくないし。開けたところ閉められないんだけど、怖くて。入り口からでもわかるから、ほら見てみ?」
 言われるがままにAさんは仏壇のある部屋の入り口から、懐中電灯で仏壇を照らした。Aさんは声を上げて驚いた。
 開け放たれた仏壇には歴代の遺影が飾られている。そのどれもが、額縁のなかで一様に首から上をばっさりと切られていたのだ。古めかしい大きめの写真が全て真っ直ぐに切られ、大きな刃物によって一発で切られたとしか言い様がない。
「一太刀だ、スゲェな。でっけぇハサミで切ってる」
 怯えながらも興奮した先輩の声で、Aさんはそれなら玩具の首も綺麗に切ることができると納得した。代わりに、どうしてそんなことをする必要があるのかと疑問が湧き上がった。そのときだった。

「あーあ」

 じりじりと蔓延し始めた恐怖を裂くように、彼らの知らない声が聞こえた。知らない気配が階段を降りてくる。最初に見回りもした。絶対に彼ら以外にここにはいなかった。
 あーやれやれ、といった様子で降りてきたのは場に似つかわしくない、エプロンを身につけた普通の女性だった。もし喫茶店で働いていたのなら、客から人気を集めるほどの整った容姿をしている。
 ただ。彼女は左手でエプロンのポケットをずっとまさぐっており、右手には巨大な裁ちバサミを携えていた。刃は時々空中を切り、かちゃん、かちゃんと鉄の擦れ合う音を闇に響き渡らせている。

 無論、Aさん達は逃げようとした。そこから彼らの記憶はしばらく途切れている。



 次にAさんが目を覚ましたとき、全員が台所で食卓に座っていた。正しくは、とても緩く椅子に縛り付けられていた。どれほど緩いかというと拘束し慣れない人が、それこそ先程見た女性などが見様見真似で縛り付けたような些末さだ。
 すぐにでも脱出できそうだが、どうしたわけかBさんの拘束だけは少しきつくされていた。男性陣は乱暴に動けば逃走できても、Bさんは女性ということもあり、抜け出すのは難しそうだとAさんは思った。
 状況に戸惑っていると、厨房にあたる場所であのエプロンの女性がポラロイド写真をパタパタと振っている。理由はわからないが、4人全員の写真を撮り終わっていたらしい。ハサミを手放さずに現像されるのを待っているようだった。
 人間とは薄情なものだ。現状に耐えきれなかったのか、先輩とひとりが我先にと拘束を振りほどき、残る二人を置いて逃走した。絶叫しながら走り去る姿にAさんもこの場から逃げようか考えたが、Bさんを見るとパニックに陥り、逃げられずにいる。
 弱い拘束がほどけたAさんは一瞬立ち上がったものの、さすがに彼女ひとりを残していくのは可哀想だと思いとどまり、もう一度着席した。
 すると、だ。「お?」と声が聞こえた。ハサミの女性が食い入るように見ていた写真から目を離し、Aさんを見ている。

「偉いねえ」

 何故か褒められた。

「なんでしょうか」
 問い掛けると、ハサミをカチャカチャと言わせながら女性は厨房から出て近づいてくる。
「あー……これは、そういうことするとは思ってなかったなぁ。今時の若い子が。ああそれはない、あー、それは……そう」
 何を言っているか理解できずに怯えるAさんを余所に「偉い! 偉いなあ」とやはり相手を褒めるのだ。
「……えー、そっかぁ。じゃあ、じゃあ……」
 褒めておきながら彼女は心から不服そうな顔をした。しぶしぶ2枚の写真を細かく破き、破片をエプロンでなくズボンのポケットへとしまい込んだ。
 自分でしておきながら、本当はやりたくなかったと言わんばかりの不満が全面に出ていた。
「うーん、じゃあ。じゃあじゃあじゃあじゃあ……もう、うん、いいや。今日は2つで、いい」
 不服そうな呟きがぶつぶつと続いている。例えるなら、ソーセージ入りの炒飯を食べたかったが、材料が見当たらずに仕方なくベーコンを入れようとしているような。本当はソーセージがよかったのにとでも言いたげな、気安い不機嫌さをあらわにしている。
「あーあ、じゃーあ」と言いながら自然と女性は彼らの前に座った。何をされるんだろうと怯える二人など素知らぬ顔で、左手に先に逃げていった2人の粗い写真を持つ。

「じゃーあっ」

 軽い調子で右手のハサミが取り出され、動いた。

「ひとくび、ふたくび」

 写真を一枚ずつ数えながら、彼女は鋭い刃先でぱちん、ぱちんと容赦なく真っ二つにした。

 異様な数え方と躊躇のない行動から漂う狂気。あまりの怖さにAさんは半狂乱になりながらもBさんを助けて(手首にはかなり痕が残ったらしい)家から脱兎のごとく外に飛び出した。当然逃げた先輩の車はなく、二人は徒歩で帰るしかなかった。しばらく一言も話せなかったが、出来事を確かめるように会話をする。あの数え方は一体なんだったのだろう。
「『ひとくび、ふたくび』ゆうて写真、ぱちんって一発で切ったで……!?」
「いや、ヤバいよ。絶対あの2人なんかよくないことが起きてるって……」
「いや100パーそうやろ……!」
 

 二人は無事に帰宅することができた。が、先に見捨てて逃げた先輩達は不幸が降りかかった。
 結論からいうと、死んではいない。しかし、エレベーターがないと移動が難しい体になってしまったらしい。階段ではなくスロープでないと不便な状態に陥っていた。さらに言及すれば、それぞれが別の時に、普通では考えられない状況や事故でなってしまったという。

 そして当然と言えば当然だが、AさんとBさんはその後で付き合ったそうだ。



 ――余談だが。どうして夜叉の家と呼ばれたのか、聞かされた語り手は理解できなかった。どうしても知りたくて教えてくれた人物に訊ねると「物知らないんだな」と、言われた。

 裁ちバサミを『ラシャ』バサミとも呼ぶそうだ。

 ハサミの女はどうやら不倫に関わっていると言う。生きているか死んでいるのかは誰にもわからない。

 わかっていることは、ただひとつ。



 その家に行けば、首を切られるということだけだ。


(終)





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この文章はツイキャスで毎週配信されている、怖い話が聞ける『禍話』のTHE 禍話 第31夜(2020/02/29)にて、約48:20から語られたものを書き手なりに編集および再構築、表現を加えて文章化したものです。

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