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料理は科学というけれど
「料理は科学だ」とよく言われます。
たしかに、温度や時間、調味料の配分など、料理には科学的な要素が多く含まれています。レシピは実験のプロトコルのようなもので、工程を正確に再現することで理想的な結果を得ることができます。失敗すれば原因を探り、条件を調整する。その過程は、科学的な試行錯誤そのものです。
でも、最近ふと思いました。本当に料理を科学と呼んでいいのだろうかと。
美味しさを定量化する難しさ
科学では、対象を正確に測定し、定量化することが重要です。それが信頼性のある結果を得るための基本です。では、「料理は科学だ」というなら、まず「美味しさ」を定量的に理解しなければならないはずです。
しかし、美味しさを定量化するのは極めて難しい。甘みや塩味は数値で表せるかもしれませんが、それだけでは美味しさを説明できません。食感や香り、さらにはその場の雰囲気や食べる人の感情が大きく影響します。同じ料理でも、一人ひとりの感じ方は異なります。
「美味しい」と感じる瞬間には、科学では測るのが難しい要素がたくさん含まれているのです。
科学的立場で料理をするなら
もし本気で「料理は科学だ」と言うなら、美味しさを定義するところから始めるべきです。たとえば、美味しさを構成する要素をすべて洗い出し、それらを数値化し、測定可能な形にする必要があります。そして、それに基づいて料理を作り、味わいを再現できるかどうかを検証する。
でも、そんなことを考え始めると、料理は途端に「楽しいもの」ではなくなります。食卓で「美味しいね」と笑顔を交わす時間が、いつの間にかデータ収集の場に変わってしまう。少なくとも、私がキッチンで感じている料理の喜びとはかけ離れてしまう気がします。
不誠実な「科学」の言葉
それでも、「料理は科学だ」という言葉は魅力的です。科学的な視点で料理を理解しようとすることで、調理の技術や理論を深く学ぶことができるし、失敗も減らせるかもしれません。
でも、私は少しだけその言葉を「不誠実だ」と感じてしまいます。科学と呼ぶには、あまりにも感覚的で曖昧な部分が多いからです。美味しさを定義せず、「なんとなく科学っぽい」要素だけを取り出して料理を語るのは、科学そのものにも失礼な気がします。少しだけ。
料理は科学じゃなくていい
だから私は、「料理は科学だ」と思うのをやめました。そのほうが、料理をもっと自由に楽しめるからです。
もちろん、科学的な視点で料理を考えることは有益です。温度管理や調味料の比率など、科学的な知識を活用することで、料理のクオリティが上がるのは確かです。でも、料理そのものを科学と呼ぶのは違う気がします。
料理はもっと感覚的で、曖昧で、混沌としたもの。その曖昧さの中にこそ、料理の楽しさや美味しさがあるのだと思います。
美味しさを追う自由
私はキッチンで、科学者ではなく「探求者」でいたいと思います。美味しさを厳密に定義することはせず、感覚に従いながら試行錯誤を続ける。そうやって生まれた一皿に、「これだ」と思える瞬間があれば、それで十分です。
美味しさを定量化することはできないけれど、その曖昧さを楽しむことはできます。料理は科学ではないけれど、それ以上に面白くて豊かなものです。それが、私が料理を続ける理由なのかもしれません。
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