国語力とは
「国語力はあらゆる科目の基礎となりますのでとても重要です。」確かに直感的に分かりますし、問題文を解釈する能力がなければ問題が解けないだろうと推測できます。「だから国語力を鍛えましょう。本を読みましょう。語彙力を身につけましょう。」と解決策が提案されております。
さて、この解決策は本当に解決策になっているのでしょうか。提案としてなされていますので「本を今日から読もう。」と本屋さんに行き、本を買って読む。悪くはありませんが、そもそも中学生や高校生の国語力は論理思考が重要です。本を読んで論理的に道筋を見出すことが重要となります。こちらの解決策も分かりますが、まだ根本的なところに辿り着いたないような気が致します。
私の考えを述べます。生徒たちに欠けている根本的な国語力は「言葉のグループ分け」です。言葉レベルの段階分けがしっかりと出来ていませんので、理解が著しく弱くなっているのです。例えば、英語ですと名詞、動詞、形容詞、副詞などです。そして名詞には主語、目的語などに細分化される。動詞ですとBe動詞と一般動詞云々。歴史ですと明治維新の中に地租改正や徴兵令などです。大概の生徒が富国強兵と殖産興業の区別がつきません。言葉のカテゴライズ化を普段から意識的に行っていないばっかりに全てが同じランクの言葉だと認識してしまうのです。難しい文章になりますと、言葉レベルの区別をして、そこから言葉を昇華させ、抽出し一般論を導く、本質に辿るなどが求められます。言葉の階層分けが出来ていない生徒がいくら頑張って難易度の高い文章を分析し解説を読んでも知識を自分のものにすることは出来ません。なぜならばその確認行為は実はただ表面をなぞっているだけに過ぎないからです。化学の不動態をイメージしていただければと思います。しかし、厄介なことにこの表面をなぞるだけでも分かった気になってしまうのです。このことに気がついていない生徒は本質の「国語力」を上げる努力を怠ってしまいます。(表面的には)理解したつもりになってしまうからです。
「日本語や英語を勉強する簡単な方法は何ですか。」と質問されてもこう答えます。「勉強に簡単なという言葉は似つかわしくありません。文法的には正しい表現かもしれませんが、そんな言葉を使っているようでは定期試験や入試で落ちますよ。失礼、言葉遊びでしたら付き合います。」
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バナナを購入したいと思います。メロンも食べてみたいです。