「攻殻機動隊S.A.C_2045」1周観た雑感
ネタバレ有。「S.A.C」「2ndGiG」「S.S.S」に関する記憶が怪しい。トータルで言えば攻殻SAC全開で面白かった。
・映像美
season1は確かに巷で言われている通り、3DCGアニメとしては、チープでは無いものの一世代前というかゲーム機で言えばPS2世代のような雰囲気があった。主にライティングのせいだと思う。
season2ではその点かなり改善されていて、まるで実写のようでもあり、まるでアニメのようでもあり、作中の重要なファクターである「郷愁」が視聴者にも共感できる形だったのが良かった。技術の進化すごい。
特に新東京の街はSF退廃映像美の詰め合わせと言った感じで、水平線を見渡せる現代チックな駅、ポツポツと浮かぶボロボロのビル、建設途中のジオシティ、昭和ノスタルジーを感じさせるたばこ屋、夕焼けなど見栄えがあって最高。
個人的に、青みがかった夕焼けをバックに二人の黒衣の男女が立ってドローンで米軍機を撃墜するシーン、そのあと高速道路をタチコマで駆けるバトーらのシーンの画がカッコ良すぎて好き。
あと戦闘シーンも音響もとても良かった。強いて言うなら「S.A.C」のフェムやクルツコワのような人型の魔改造義体使いが出てきて欲しかった(性癖なので)それと、鉄板が凹んだりパイプが折れるなど義体の重さやパワーが伝わる描写があったら良かった(性癖なので)
特にプリンちゃん。
・プリンちゃん
season1登場時は固定化してる9課メンバーの新しい風、或いは裏のあるキャラ、或いは完璧すぎる9課メンバーを話に巻き込みやすくする的な都合の良いキャラ、変な名前のキャラだと思っていたが、「S.A.C」10話にて取り上げられたサンセット計画関連人物のマルコの被害者という事実と、名前の由来が判明。泣いた。
作中で「少佐以来の逸材」と課長が言っている事、また少佐と同等のスペックの全身義体が与えられてる事からこのキャラは本作の影の主人公でもあり、少佐の世代交代的な立ち位置のキャラなのでは?と思ったけどどうだか。
途中で死んで、タチコマ達が外部記憶を元に疑似人格を作成、完全義体に移して実質的な蘇生をしたわけだが、疑似人格だとゴーストが無いらしく、郷愁ウイルスに感染せずダブルシンク出来なかった。そのため管理者側に回ったそうだが、疑似人格にゴーストが無いと言い切ってしまうのはどうなんだと思った。
SACシリーズの3作はネットに生まれた人格やAIがゴーストを獲得して独り歩きする可能性が一貫したテーマになる話だった。「S.A.C」ではAIだったタチコマがゴーストを獲得、「2ndGiG」で自己犠牲によりロストしたタチコマのゴーストは「S.S.S」にてネットからサルベージされた。「2045」でもゴーストを持っているがために郷愁ウイルスに感染しタカシの考えに同調した。
本作で多くのオマージュがある押井守監督の劇場版攻殻では政府に作られたAIにゴーストが自然発生し、9課に政治的亡命と生物としての扱いを望んでやってきた。
で、本物と同じ記憶を持って、そこから作られた疑似人格にゴーストが無いとするなら、ゴーストってなんだ…?(哲学)になる。
そもそも、SAC世界ではゴーストは複製可能で、記憶も人格もデータとして複製できるからこそ自分を自分たらしめる物を必要としてしまう。「S.A.C」の少佐の義体のリサイズを辞めた記念のサイズぴったりの腕時計や、バトーの筋トレグッズがそれ(確か)
いずれにしても、「攻殻機動隊」派生作品全てに通じる根幹でもあり、「2045」のストーリー上でも重要な要素なのに設定説明が足りないと思った。
それに、やはり厨二病でキ◯トみたいな格好してチープなコンピューターゲームみたいな子どもらしい攻撃してくるタカシくんと、番狂わせ的なプリンちゃんと、おちゃらけキャラのスタンはSACのサスペンス的な雰囲気に合わないんじゃないかという気がした。スタン、末端の癖に情報知りすぎだし漏らしすぎでは…?
・ラスト
今作のラストのシーンは、少佐がプラグを抜くかどうか明確に描写されてない事、その後の描写がどちらとも取れる事から、視聴者をダブルシンクする意図がある気がする。検索したら同じことを書いてる人がいっぱいいた。タカシが字幕と声で若干違うことを言ってるのもダブルシンク的な世界を表現したかったのでは?
強いて言うなら個人的には「抜かなかった」ように見える。プリンちゃんが再び9課入りした際にみんな初対面のように振る舞ったからだ(抜いたとしたら誰のダブルシンク的仮想現実なのか明確ではないのが理由か。プリンちゃんと少佐はダブルシンク出来ないし。)
シリーズ的にネットに生まれた自我を尊重するメッセージがある事、2045年問題(シンギュラリティ)=AIが人を超えて文化を築き始める=AIが人の電脳を介して自己増殖し、寄生した人間はポストヒューマンとなる。などから少佐がその存在を尊重するのはわからなくもない。オマージュ元の劇場版攻殻では少佐と融合してネットの海に消えたわけだし。とはいえ、SACの9課のやってきたことは社会に公正な秩序をもたらす事であって、革命に賛同する事じゃなかった。
「あなたは稀に見るロマンチストだったので」と言うけどロマンチストか…?みたいなところもある。
「S.A.C」1期12話は、タチコマが拾ってきたジャンクが防壁迷路ではなく単純に魅力のある映画で人々を閉じ込めていた話だが、その中で
と発言している。ダブルシンクというのは他人の夢に自分を投影する行為じゃないのか?
わたしの深読みが足りないのか。
いや、Nになって摩擦係数0の世界に生きてくださいって事だろうか。
・スタンドアローンコンプレックスに対する答えがダブルシンクなのか?
「スタンドアローンコンプレックス」はタイトルにもなっている通り神山健治氏の攻殻機動隊シリーズにおけるキーとなる社会現象。
「S.A.C」でオリジナルの笑い男像を離れて模倣犯が続出した現象にそう名付けられた。
「高度にネット化された社会では、ゴーストを持った個として振る舞っているつもりでも結果的には集団の総意として動いてるように見える」
「オリジナルの不在がオリジナルの模倣者を生み出す」
ユングの集団的無意識的なやつかもしれない。
ネットと情報を共有しすぎて、無意識化で繋がってしまい、集団として行動してしまう現象
作中では始まりはただの一通の脅迫メールで、アオイですら「笑い男」という集団が作り出した社会に正義をもたらそうとする架空の英雄の模倣者だったし、少佐もトグサも模倣者となった。暴かれる側の警察は「笑い男」像をコントロール下に置くことで事件の隠蔽を図ろうとしていた。
「2nd GiG」では難民排除を求めた架空の英雄の模倣者として合田に人為的にプロデュースされたのが「個別の11人」と呼ばれた。その中で本物の英雄だったのがクゼヒデオで、難民の救済と復讐のために自分の電脳を中心に難民らに独立意識を高めさせ、全員を一つにまとめてネットにアップする算段だった。
で、今作におけるスタンドアローンコンプレックスのオリジナルはビッグブラザーたるタカシで、「ビックブラザーを助ける側に回る」「プロールではなく自治会となることを選んだ」300万人のレイド参加者が模倣者だと思う。つまり「個が個として動いているつもりでもNという集団として動いてるように見える」と解釈
でも結局やった事はシマムラタカシが一人で300万人に郷愁を感じさせ、Nにして夢の中で革命をさせることで現実において革命を止めさせた事だった。300万人は個々が核ミサイルを撃つ夢、或いは撃たない夢を見てる。
「N」の強引な独立に否定的で武力行使をしようとした米軍や陸自ですら関係者全員シマムラタカシによってNにされ、管理下に置かれ、新東京にスマートガスを投下した夢を見た事で争いは回避された。
「郷愁」によって無意識的にNに賛同し協力。Nとして動いてしまう。タチコマもイシカワもバトーも同じだった。
共有によって無意識が繋がってしまうのではなくて、共通の無意識をシマムラタカシが与える事でNという集団を作っているというか。
「郷愁」がなぜ「Nに賛同する」に繋がるのか、ハッキリと説明されていなかったような気がするけど、「郷愁」はウイルスによって感情を呼び起こすだけで
「Nに賛同する」は個人の判断としたら「N」はスタンドアローンコンプレックスとも呼べるし辻褄が合う気がする。トグサは郷愁を感じたがぎりぎりNに賛同せず、Nポと呼ばれる人間になった。
それとやっぱり争いが無く公正な社会を実現するために、ディストピアとして描かれた「1984」の世界を是としてるところがある。
それでいいの???
何て言ったらいいのか、言葉が出てこないが、率直に言えばこうなる。とは言え、本作が「スタンドアローンコンプレックスに対する答え」と同時に「攻殻SACなりのシンギュラリティ問題に対する答え」だとして、人間の時代は終わり、AIが自己増殖し文化を築く時代になる事を肯定的に表現しているんだとしたら「それでいいの?」は人間風情の傲慢な言葉なのかもしれない。いずれにしても、今後時代が下ってシンギュラリティが現実のものとなった時に(我々人間は気付けるのかわからないけど)改めて意味を持つ作品かもしれない。
2周目見なきゃ……