アオリイカを喰らうサトゥルヌス 二題
苦草です。この謎めいた記事の経緯はと申しますと。
一昨日(2/13)配信されたブンゲイ実況の前半部で、短歌よむ千住さんによる俳句連作「死んでる場合か」が実況されました(第12回六枚道場グループAより)。
配信の20分ごろ、「死にたいと叫ぶ両手にアオリイカ」という句に関連してパーソナリティ諸氏の想像力がバッサバッサ羽ばたき、「アオリイカを喰らうサトゥルヌス」なる嫌すぎる存在が誕生。パーソナリティの皆さんから「ニガクサさんとか書く感じだな~」「ニガクサさんぜひ書いてください(大意)」という嬉しいお言葉を賜りました。
私はお調子者なので「は~いw」という軽率な返事をしました。秒でしました。は~いじゃないよ。草まで生やして、浮かれていますね。名前を呼ばれると反射で返事をします。嬉しいからです。金角銀角です。いや実際、こういうことで思い出してもらえるのってすごく嬉しいじゃないですか。それで、秒では~いです。
お題が強すぎて何を書いてもお題に勝てないと気づいたのは翌朝です。
書けんわこんなもん。
いちおう書きました。
二つ書きました。
二つも書いたのは、正解が見つけられなかったからです。正解はありません。「古代編」「現代編」です。せっかく書いたのでご笑覧ください。
『古代編』は「死んでる場合か」の要素を頂いておりますので(句に出た言葉を作中に入れてあるだけで、工夫もなにもないのですが……)まだの方は「死んでる場合か」もお読みになられると。というか素晴らしい連作なのでこの怪文書を今すぐ閉じて「死んでる場合か」と千住さんの自句自解を絶対に読んだほうがいいです。『現代編』は失敗作です。
一昨日のブンゲイ実況は、前半は奇想天外な言葉をディープリーディングすると新しい光景が開けた「死んでる場合か」の回。後半はプログラムコードの朗読という前人未到の境地に達した夏川大空さん「読みかけのディケンズ」の回。どちらもメチャ面白いです。(ブンゲイ実況の回し者のような振る舞い)
というわけで、以下が、アオリイカを喰らうサトゥルヌスです。
『アオリイカを喰らうサトゥルヌス 古代編』
おまえは自身の子供によって討たれるであろう。
かような予言によってサトゥルヌスが精神に変調をきたしたことは、ギリシア神話において広く知られたエピソードである。予言を受けて狂乱したサトゥルヌスは、妻のレアが子をなすごと、それを丸呑みにしてしまった。被害神は生まれた順にヘスティア・デメテル・ヘラ・ハデス・ポセイドン。みな強烈な力をもつ子であった。
ヘスティアがテリヤキ味であったこともよく知られている。
レアの産む子は味がついていた。
デメテルはピーナッツのような、ヘラはクラッカーのような、ハデスは燻製チーズのような、ポセイドンは天日塩のような味をしていた。これら五神が酒によく合う味付で生まれでた影には、知られざる二柱の暗躍があった。
元気の神ストロングと、反動で落ちこむ気持ちの神ゼロである。
ストロングはサトゥルヌスから権力を奪おうと、ストロングゼロを飲ませ、サイレースとデパスとワイパックスとコンサータとリスペリドンを盛って前後不覚の状態にし、予言を吹き込んだ。
ゼロはレアに酒肴を振る舞い、生まれる子らが酒肴の味わいを身に宿し生まれるよう仕向けた。神々の子らに味のつく仕組みはカタツムリに菜っ葉食わせたら緑のうんこが出るみたいなそんな感じであった。
しかしレアは抵抗する。
こども呑め呑めサトゥルヌス……そんな状態には我慢がならない。
騙そう。
レアは次なる子・ゼウスがサトゥルヌスに見つかるまえに、石とすりかえた。サトゥルヌスが石とゼウスを勘違いしているうちに、ゼウスを隠密裏に養育し、サトゥルヌスを討つ英雄とするのだ……それがレアの着想であった。
企みは成功したと考えられていた。しかし近年の研究によって定説が覆った。スタンフォード大学文学部のパウルマン教授は語る。
石食わされたら気づくだろ普通は。
それもそうだなあ。
そういうことで、石を食べさせられたサトゥルヌスは気づいた。石だなこれ。怒り狂ってレアを追った。おまえ石食わせて騙せると思っとんか、おれをそんなアホだと思っとったんかワレ!
海岸沿いをレアは逃げる。そこで、ある神に行きあった。レアがわけをはなすと、その神は海を割って「代わりにこれをつかゐなさゐ」と、ぐんにゃりとした生物を差し出した。レアは頷くと、サトゥルヌスにその生物をぶん投げた。
「許してっ! これがゼウスよっ!」
アオリイカである。
サトゥルヌスはアオリイカを喰らった。
……うまい。これはゼウスだ!
アオリイカを喰らうサトゥルヌスーーーこれこそ歴史の真実であった。
海岸沿い。黙々とアオリイカを喰らうサトゥルヌスのもとへ、さきほどレアを助けた神がやってきた。
死と痛風の神イクラドンである。
ヘルメスが能弁・境界・体育技能・発明・策略・夢と眠りの神を兼務するスーパーキャラ立ちゴッドであることからもご納得いただきたいのだが死と痛風の神は両立する。するのだ。
イクラドンはサトゥルヌスに氷結を差し出した。それから様々なツマミを。我が子をアテにした一人酒が続いていたサトゥルヌスは、この心遣いに泣いた。海岸沿い、中腰で、アオリイカをすすり、氷結をグイっといって、ぷっはー。
妙にゼウスと氷結の相性が良かった。ゼウスはとろりとした食感ながら歯ごたえも良く、ちゅるりと飲み下すと海の香りが鼻に抜けた。ゼウスのなんたる美味なこと、ゼウスと氷結の何たる相性のよさ! じっさいそれはイカ刺しなので相性は良いのである。
誰かと差し向いで飲むのは久しぶりだった。
サトゥルヌスの口は滑らかになった。これまでのことを吐き出した。
権力を得ても、ずっと不安であった。レアはおれのことをアホだと思っている。子供にばかり期待している。ストロングとゼロに相談したが良くならない。処方が合わない。元気にやっていきたい。この立場は辛い。どうしたらいいのだろう。生きていかなくちゃいけないのに。
―――死にたい! 叫ぶ両手にアオリイカ。
サトゥルヌスが弱音を吐き出すたび、それまで飲み込んだ子供たちがボトボトと飛び出した。ヘスティア・デメテル・ヘラ・ハデス・ポセイドン・アオリイカである。
子らは口々に言った。
支え合うことが生きること。苦しむ父を追い落すなど誰がするものか。
おまえたち。おお、おまえたち……。
うぇーい。やってるね~。飲む~?
そこに来たのが、元気の神ストロングと反動で落ち込む気持ちの神ゼロである。
二神はストロングゼロを差し出した。サトゥルヌスは心遣いに涙して缶に口をつける。ちょっとお手洗いに立っていたイクラドンがそれを見て叫んだ。
「―――――飲むな!」
―――氷結とストロングゼロをぶつけるとビッグバンが起こることは、良く知られている。
こうして原形の神話世界は消滅し、カオスによってすべてが生みなおされることになった。ストロングとゼロとイクラドンは邪悪であったため存在を抹消された。サトゥルヌスは休んでいる。ただ休んでいる。神話のはじまりからつづく悠久のときを、いまも海辺でアオリイカを喰らいながら。砂浜にいるのは好きかもしれない、そんな自分に最近、気づいたという。
なるほど。
ゴヤやルーベンスが、初め、サトゥルヌスがアオリイカを持っている絵を描いてしまったのには、このような背景があったのですね。
勉強になりますね。
以上、美の巨人たちのコーナーでした。
次回の特集は「植田まさし ホンニャラゴッコのホンニャラって何?」です。CMの後は朝まで何も流しません。
『アオリイカを喰らうサトゥルヌス 現代編』
僕とリリコちゃんは相性がよい。リリコちゃんは控えめなこで、遠慮がちな話しかたとか、花や草木が好きなところとか、図書室で静かに本を読んでいるその横顔とか、僕は彼女のささやかな生きかたが堪らなく好きだ。リリコちゃんも僕といると安心するって言ってくれた。それで僕らは、いつのまにか一緒に過ごすようになった。進路が決まって自由登校になると、外でも落ち合うようになった。例えばカフェで少し高い珈琲を飲んだり、かっこいい古本屋に行ったりした。
海を見たいね、っていうことになった。
それで僕たちは海へ行った。
平日の海岸には誰もいなかった。波が弱いからサーファーは来ない。緊急事態宣言のせいもあるのかな。
昼間の浜辺を、二人で歩いた。
海岸は僕たちのものだった。さざなみのささやきも、浜風が運ぶ潮の香りも、きしる砂も、何もかも。手を繋いだ。リリコちゃんの手は小さくて、きゅっと僕の手を握り返すちからが弱くて、かけがえのない命のことを思った僕は愛おしくなって、どこまでも行ってしまえる気がした。空も海も越えて二人だけの世界へと行ける気がえっ全裸のオッサンがいる。
――――全裸のオッサンがいる!
「全裸のオッサンがいる!」
リリコちゃんも言った。いつもより声がでかかった。僕は清楚なリリコちゃんの口から全裸とかオッサンという言葉を聞きたくなかった。だから、ここから逃げようと、彼女の手を引いた。
「待って」
リリコちゃんは僕の手を振り払った。決然と立ち、オッサンを凝視した。
オッサンは中腰で、変なものにかぶりついていた。何なのかイマイチわからないそれは、汚い色で、プルプルしていて、オッサンの両手のうちでだらーんと垂れ下がっている。足元にはゴザが引かれていて、空き缶が何個も転がっていた。
「リリコちゃん、逃げよう。不審者だよ」
「不審者じゃないわ。あれ、たぶん、サトゥルヌスよ」
サトゥルヌス。ネットで見たことがある。首のない血濡れの子供を鷲掴みにして、真暗な口で呑み込もうとしている、目を剥いた男が描かれた絵画を。確かにオッサンは白い蓬髪を伸ばすままにしていて、目を見開いた表情も、中腰の姿勢も、ウィキに載っていたゴヤの『我が子を喰らうサトゥルヌス』にそっくりだ。そうか。サトゥルヌスか……。
「サトゥルヌスではなくない?」
僕は我に返った。ところがリリコちゃんは聞いてくれない。野鳥観察用の双眼鏡をリュックから取り出して、オッサンを細かく見ようとする。
「何を食べているのかしら。我が子かしら」
「やめなよ! 我が子だったらどうするんだよ」
「我が子じゃないわ! 見て、ユズくん!」
リリコちゃんは興奮して、僕に双眼鏡をおしつける。死ぬほどイヤだったが、彼女の頼みだ。僕も双眼鏡を覗いた。
イカだった。サトゥルヌスが喰らっているのは生のイカだった。死んでまもないのか、体表は暗い茶色と白濁色の斑模様。帽子みたいな部位や多足部の末端は赤黒く変色をはじめ、ぐよぐよだらだらした身からは変な汁が垂れていた。
「アオリイカよ」リリコちゃんはイカの種類を同定した。
「サトゥルヌスはアオリイカを喰らうのかい」と僕。
サトゥルヌスはアオリイカを上手に喰らえていなかった。口いっぱいにアオリイカを押し込んでは、飲みきれずエッつってデロっと戻し、ちょっと先端を吸ったりしがんだりしてから、また口に戻すという工程を繰り返し、徐々に喰らっていた。その間、ずっと目は見ひらかれ中腰だった。サトゥルヌスの唾液が混じって、イカは益々ぬめり、変な汁が垂れ、イカの生臭さが風に乗ってきた。
アオリイカを喰らうサトゥルヌスはアオリイカを喰らい終わると、足元の缶チューハイを中腰のまま手に取ってクイッとあおった。
「ストロングゼロのダブルレモンね」リリコちゃんはストロングゼロの種類を同定した。
度数が高いとネットで見たが、サトゥルヌスは一息に干して「カーッ」と息を吐いた。
「ずっと目カッ中だわ。サトゥルヌスの特徴と一致している。本物だわ……」
目をカッと見ひらいて中腰という、サトゥルヌスが我が子を喰らうさいの基本姿勢を「目カッ中(メカッチュウ)」と呼ぶ決まりがあることは、後から教えてもらった。目カッ中のままサトゥルヌスは海へ分け入ると、海面に両手を突っ込んで、ざんぶと何かを引き上げた。網だ。
「定置網だわ!」
定置網を引き上げるサトゥルヌスが網をゆすると、ボタボタと数匹のアオリイカが砂浜に転がった。リリコちゃんは鼻息も荒く、
「定置網をイケスにして、サトゥルヌスは新鮮なアオリイカを飼育しているのね!」
ところがサトゥルヌスは残数に満足がいかないらしい。目カッ中のまま首をかしげると、いきなり駆けだした。海岸と国道を隔てる斜面を中腰でのぼっていく。
「たいへん、人里に降りちゃう!」
人里に降りるサトゥルヌスを追って、リリコちゃんも駆け出した。運動が苦手だといっていた彼女にあるまじき速度だった。僕はヒイヒイと後を追った。斜面を上がってみると、すこしさきの歩道でサトゥルヌスはしゃがみこんでいた。何かを拾い、見開いた目でじっとみたのち、それを吸い始めた。
「シケモク拾いだわ!」
シケモクという語彙がリリコちゃんにあったことに驚愕して「シケモク知ってるんだ」と尋ねるとリリコちゃんは「おじいちゃんがよく拾うの」と言った。
シケモクを拾うサトゥルヌスは二回くらい深く吸って「ガーッ」と淡を吐くと、シケモクを捨てて、中腰でペチペチと歩き始めた。その先にある建物は。
「ミニストップだわ!」
ミニストップに入るサトゥルヌスは、ミニストップに入って、ミニストップのカウンターで何かゆびさした。
「ホットスナックだわ!」
厚切りポテトを喰らいながらミニストップから出てくるサトゥルヌスは、ストロングゼロの入ったビニール袋も下げていた。来た道を引き返すサトゥルヌスは斜面を降りると、袋から別の食べ物を取り出した。
「サラダスティックとバーニャカウダソースだわ!」
栄養バランスに気を使ったものも喰らうサトゥルヌスは、しかして、砂浜エリアの中ほどで、立ち止まった。そのさきには彼の定位置とみられる地点が見えるのだが、いま、そこに、誰かが立ち尽くしていた。
全裸だった。全裸の男が、何かを喰らっていた。サトゥルヌスより体つきは健康で、片手には杖を持ち、もう一方の手に持っているのは……アオリイカだった。
リリコちゃんが金切り声を上げた。
「―――ルーベンスのほうのサトゥルヌスだわ!」
リリコちゃんは僕の手をとって、ぴょんぴょんと撥ねた。すごい、二人のサトゥルヌスが激突するなんて。ダブル・サトゥルヌス。ダブルヌスだわ。こんなおかしなこと見られるなんてサトゥルヌス業界でも奇跡的なことなのよ。すごいすごい。
二人のアオリイカを喰らうサトゥルヌスが、二人並んで、アオリイカを喰らい始めた。
僕はリリコちゃんが嬉しそうで良かった。これまでのどんなデートより嬉しそうなリリコちゃん。そしてアオリイカを喰らうサトゥルヌス。
「明日も来ようね、ユズくん!」
リリコちゃんの笑顔はまぶしくて可愛くて、僕はこのままやっていけるのか、かなり不安になっている。死んだイカの香りが風にまかれて、空へ流れる。
以上です。楽しんで頂けましたか? またね!