第2回かぐやSFコンテスト最終候補作感想など
ランダム順です。
アザラシの子どもは生まれてから三日間へその緒をつけたまま泳ぐ
カッコいいとはこういうことだ(なんかこんなコピーありましたね)。
まず梗概が図抜けていました。意外性と、程よい諦観のある語り口の格好良さです。内容に進んでみても、ジャンル分け不能な無二の読み心地がありました。手触りの新しさにかけては、この作品が一番であったように思います。登場人物たちのビジュアルも、想定の埒外にあるような不思議な感がありました。背景を説明しすぎないことで、会話や文章表現を粋にする余裕も生まれていて、連達の業であるなと思います。「魂は置き去りにされた」からの転調が本当に見事で、総合して言えば格好よすぎだぜということです。作品が内包するテーマ性については私は到達できなかった部分もありますが、テーマに迫る読みが必要なのではなく、登場人物たちの雰囲気と行動の果てに到達した色彩、人物の情動を導いた社会背景、という腑分けしがたい総合力の魅力で一本とられた感じだと思っています。つまりは文芸の魅力に溢れているということです。カッコよかった(何回言うんだ)
昔、道路は黒かった
色彩というテーマへの向き合い方と、かなり現実的な内容が魅力だなと思いました。星新一賞っぽさもあり、身近なテーマから想像を広げる面白みに満ちていました。それだけに失敗に終わってしまった未来には物悲しさを覚えます。
道路の話にもっていくまでの舞台設定も捻りが効いていますし、戸川さんの述懐も声が聞こえてくるような語り口で読みやすかったです。実はこちらを吉美駿一郎さんがお書きになったものと思っていました。
熱と光
既存のモチーフをブン回し、こなれた文章をボンボン打ち込んでくる。いいなあと思います。
私はスーラもドーアも分かりませんし、ほかのフレーバーも選評を読むまで一切理解していませんでした。柏とか足立区とか。そうしたモチーフの導入はナイーブかつ知的な作品世界の構築に役立っていますし、理解しきらずとも作品自体には迫れるように書かれていて巧いなと思いました。
主人公の幸福すら曖昧なもののように私には思えます。遺伝的形質を受け渡してしまう恐れ(転じて受け渡せない恐れ)、子をなすことの正当性への疑義といった重たいテーマがこうも織り込まれているのは見事としか言いようがありません。
答えの出ない問題に対する答えが日々の気分で変わるタイプの人間なので、こうした諸問題には言及いたしません。ご勘弁ください。ただ、じぶんが十全ではないことへの恐れ、遺伝への恐れには、勝手な共感を覚えます。主人公が所持するものとは異なるかたちでの、幾つもの見えない光が、子やパートナーに訪れることもあると思いたいところです。
ちなみに作者のみそ兄貴さんのことは経緯は忘れましたがブログを存じ上げていて、作者予想は当たっておりました。
オシロイバナより
素晴らしいと思った一作です。
ハードSFを読む喜びを、このようにコンパクトなかたちで達成できるとは。中盤からの会話パートは程よいギアチェンジになっているし、議論を圧縮する手続きとしても、プロフェッショナルの会話表現としても鮮やかだと私は思いました。行われたことの規模の大きさも随一ですし、提示されるオシロイバナのイメージと、豪快な発想の逆転にも痺れました。スケールの大きさに大満足です。個人的にはこうした大法螺を吹きたくて、でも絶対に書けない分野でもあるので、本当に憧れます。
境界のない、自在な
はい大賞!と思った作品です。
要素の連環がとにかく美しく、無境界性/自在性は作中に様々に顔を出します。肌の、家族形態の、祖母の内面の、そして死期の自在性。自由度の高まりはまず資本に縛られ、経済的基盤を達してもなお、倫理的な観点が問題を引き起こす。現行世代の人間に生じる違和感も次の世代には問題ではなくなるのか、それとも基底を同じくした問題が繰り返されるだけなのか。
作中では悲観的な(もとい、悲観的に読める)結末に到達しましたが、私はそれに頷きました。もっとも小説は倫理を云々する素材ではありませんので、そうした内容の是非というよりは、内容を導く手つき(近い未来への問題意識にテーマを取り込む手腕、情報開示の順番、リーダビリティ、小説としての整い)に脱帽した次第です。全ての作品を巡回したのちも読後の好印象は変わらなかったので、こちらに投票をいたしました。
スウィーティーパイ
はい大賞!と思った作品です。(大賞が2個あるじゃないか)
文章的なハッタリをカマしたものが読みたければ思想かSFか純文学やッと勝手に思っております(偏見)。その欲求を十全に満たしてくれたのが本作です。
語彙を活かした独自の世界観は冒頭からギア全開です。字面の強い造語と化学用語・生物学用語を散りばめた文面は眺めるだけで嬉しく、比喩や景色を用いずとも脳に流れ込む色彩イメージの数々は銀朱色や滅紫色、赤朽葉といった巧みな語彙選択によって導かれています。そうした意味で、まだ見ぬ色との邂逅と果たす機会が最も多かったのは本作でした。多様な色彩が意図的に散りばめられているように感じます。巨視的な語り口の選択も素晴らしかったです。
そのうえヘンリー・ダーガーとの予想外の接続。こうしたツイストは大好物です。固有名詞によるイメージ喚起の強さがここでは必要になると思いますから、これが名を伏せた画家であっては抒情とテンポとが失われていたことでしょう。ダーガーでなかった場合に要する説明はこの小説の興を削ぎます。(しかし枯木枕さんの解説が凄すぎた……)。そして小説の閉めかたがカッコよすぎるんですよ。ああお腹いっぱい!!最高!!!
この世界観は連作で読みたいです。色々な画家のもとに、この種族が赴くスタイルでもよいですし……夢が広がります。「ヴィンダウス・エンジン」も拝読していたことが奏功したのかは不明ですが作者も当てることができました。
ヒュー/マニアック
かぐやSFコン2の最終選考作品は、未来について明るいビジョンを抱いた作品が、実は少なかった気がしています。そんななか、様々なクライアントに役立っていく「未来の色彩」を描いた本作は、その前向きな志に、我が身を顧みたくなる思いになりました。
既に翻訳小説のような文体も含め、毎月の配信で掲載されていても遜色ないですよね。「その声色がさすほうへ歩いていった」という結句が「色」で閉めている気の利き方、色彩を捉える感度の広さが素晴らしかったです。
黄金蝉の恐怖
これはもうクラシカルな語り口に尽きますよね。なんでか黄金時代という言葉が連想されます。つまりは黄金蝉という題材がまず見事。
導入からの仄めかし、ちょっとした描写の豊かさとリズム、蝉を切り裂くシーンの盛り上げ方、思いもよらない落ちと見事な構成です。
これが翻訳されたとき、どのように海外で受け止められるのかには興味がありました。全くの余談ですが私は殊能将之先生の大ファンなので、殊能センセーが推されていたポール・アルテという作家、フランス人なのにカーが大好きで19-20世紀イギリスを舞台にした本格推理小説を書き続けている人のことを思いました。本作の場合だと、日本人がクラシカルな翻訳文体のジュブナイルを英語圏へ返す(という表現でよいのか?)といったことになるのですかね。
七夕
スケッチに徹した作品が必ずあるだろうと思っていましたが、成程ヴァーチャル七夕祭りとは。開陳されるめくるめく色彩とノスタルジックな道具立ては読んでいるだけで幸せになります。こうした作風と4000字の分量の相性の良さ、作者の想像力を思いました。
スケッチにとどまらず、背面にある世界観、祭りが終わった後の世界を想起させてぞっとする一文「むぎちゃんのおばあちゃんは~」はあまりにも見事でした。
二八蕎麦怒鳴る
こうしてハイカロリーな諸作を読んだ後で立ち戻ってみますと、完全なる箸休めと申しますか、まあちょっと軽いもんでも食べていきなさいよという位置づけっぽくなっていて、振り返ってみれば役割は果たせたなあという感じはしなくもないですが、なんで選ばれたのか未だに分かんない気持ちの方が強いのも確かです。
選外佳作や落選作(読めた限りですが)
架旗透さんの「クリスタルパパ」は楽しい読み心地で、大好きな発想でした。
鯨井久志さんの「失われた色・物」は色彩をイロモノと捉えるトリッキーな発想から、じくじくと嫌な方に進んでやがて不穏なラストでスッと閉める読み心地が実に好きです。
阿部2さんの「因果のひよこ」は細かい理論は分からない私ですが錯綜する幾つかの会話が収斂した瞬間を見事に思い、題材の取り合わせに妙があって好きです。