ゲームコンプレックス
90年代は家庭用ゲーム機の黄金期である。
僕の生まれる前から自宅には『ファミリーコンピュータ』(1983)があった。
親がいまだにTVゲーム全般をひとくくりに「ファミコン」と呼ぶのはここから来ているが、それはいま関係ない。
間もなく次世代機種の『スーパーファミコン』(1990)が発売された。20代の方はこちらのほうが馴染み深いと思う。
しかし我が家はすでに初期のファミコンを持っていたためなんとなく気乗りがしなかったのだろう。親はかわりにセガの『メガドライブ』(1989)を買ってきた。
思えばこれが、わが没落の最初の一歩だった。
同年代の友だちがスーファミで「カービィ」「マリオ」「ロックマン」などでわいわい騒いでいる時期に、僕はひとりホラーゲーム「夢見館の物語」を黙々プレイする幼少時代を過ごした(どう考えても子ども向けの内容じゃなかった)。
小学校にあがった頃、ゲーム業界にとって大きな転換期が訪れる。
セガが『セガサターン』を、ソニーが『PlayStation』をそれぞれ1994年に同時発売し、互いの生き残りを懸けた熾烈な商戦がはじまったのだ。
僕は考える。前回は家に同メーカーがあるという理由で手を出さずに乗り遅れてしまった。だから今回はメガドライブの後継である「セガサターン」を素直に買ってもらうべきではないか、と。
その結果……。
同年代の友だちがプレステで「ゼルダ」「ドラクエ」「FFシリーズ」などの話題で盛り上がっている時期に、僕はひとりセガ伝説のクソゲー「デスクリムゾン」を真顔でやりこむ少年時代を過ごした(名作ソフトも多かったんだけどね)。
そして1998年にセガが『ドリームキャスト』、1999年にソニーが『PlayStation 2』を発売し、両社が再び矛を交える。
3度目の正直。この頃すでにセガの勢いはなく、ソニーの勝利は誰の目にも明らかだったので僕は確信を持って「プレステ2」を発売すぐに入手した。
しかし、時代は据え置き型ゲームから携帯型ゲームへと移行しつつあった。
同年代の友だちが「ポケモン金銀」や「モンハン」で輪になって遊ぶ時期に、僕はひとり(ry
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