高校1年生、閉鎖病棟入院②
入院生活はと言うと至ってシンプル。
寝て起きて、3食ご飯を食べて、薬を飲んで
決まった時間の間でお風呂に入って
あとは自由時間。
と言っても閉鎖病棟内でできることは少ない。
テレビを観てる人や、
デイルームで将棋や囲碁をしてる人。
作業療法がある人もいたり
ずっと喫煙室へ篭ってる人もいた。
ちなみに私は部屋にいることが多かった。
当時はMDの時代でひたすら音楽を聞いていた。
ただひたすらに生きてる1秒1分が辛くて
死にたいと泣いたり、物に当たり散らして
部屋の中をめちゃくちゃにしたり
得体の知れない恐怖で眠るまで看護師さんに
手を繋いでもらっていたり
ペンなどを使って自傷行為をして
ロッカーの鍵預かりになることも何度かあった。
周りの患者さんは思っていたよりも
"普通"と言うと語弊があるが普通だった。
もちろん、病気や症状は人それぞれ。
鬱の人、躁の人、強迫症、摂食障害、知的障害
中には何十年と入院している人も何人かいた。
辛い経験をした人が多いからなのか
外の世界よりも優しく穏やかな時間が流れていて
私はその空間が大好きだった。
病棟内で1番年下だった私は他の患者さんから
よくしてもらうことが多く、お菓子をもらったり
デイルームに出ると誰かしら話しかけてくれたり
困っていると、よく助けてもらった。
看護師さんも辛いことから他愛のない話まで
たくさん聞いてくださった。
どの看護師さんも「遊んで〜」「休ませて〜」と
きっと気を遣って、そんな言葉を選んで
空いてる時間に部屋まで来てくれた。
私が入院して少しすると
同年代の子が数人入院してきて
その内の1人とは今でも連絡を取り合う仲。
初対面だったけど、
ずっと知ってるような不思議な感覚で
同じ病棟にいるのに手紙交換したり
辛い時は手を取り合った。
その子は早く退院したい、私は退院したくない
そんな違いはあったけど何故か分かり合えた。
入院生活に慣れてくると
勝手に病室の模様替えをしたり
携帯を持ち込んでみたり
空き部屋からナースコール鳴らしてみたり
「これ、あとで読んでほしい」と神妙な顔して
看護師さんに白紙やくだらない事を書いた紙を渡してみたり
同年代の子数人で「話そう」と言われたからって
男性棟へ忍び込もうとしたりもした。
同年代の子は比較的退院も早く
いつまでも入院しているのは私だけだった。
外の世界の恐怖から逃れられた私は
完全に閉鎖病棟に慣れて居心地の良ささえ感じていたので、週1回の診察で退院と言われるのが恐怖で仕方なかった。
遠いとは言え、来れない距離ではないのに
両親は一切面会に来ず
祖母しか面会に来ないこと、
きっと先生も看護師さんも
疑問には思っていただろうけど、
当時、"毒親"なんて言葉はなく
16歳、"親が怖い"なんて言えなくて、
今のように情報が沢山あるわけでもなく
自分の育った環境や親が
おかしいかもと疑うことはできても
どうにもできなかったから
しっかりした支援とは繋がることができなかった。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?