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ぼっち大好きなINFJがあえて「映え」の世界に飛び込む勇気

私はインスタをほとんど使っていません
でもかわいい「映え」的な写真を撮るのは好きです

それは写真を作品として作り上げたいというクリエイター気質な部分が大きいのかもしれないです
一応オシャレなカフェや景色の綺麗な場所に行った時は映えな写真をとって人に見てもらいたいという承認欲求もあるんですが、加工してあげるのがめんどくさくて写真が眠っていることもしばしばです…

インスタはみんなの人生のキラキラした部分を並べる展覧会みたいなもんだと思っています
人間はずっとキラキラしているわけではなくて、
例えると表に載っている部分は俳優がステージに立っている部分で、載っていない部分は下積みの稽古みたいなものなのかな…と思っています


以前の私はインスタのことを
「映えばっかりにこだわり続けると自分の外側が中心になってしまって中身がない人間になりそうだなぁ」
とスレた感じで見ていました

でも最近は一周回ってそういうのにのっかって楽しんでみるのもいいんじゃないかと思っています
映えなんて…とお高くとまっているよりは
世間の流行りやみんなのキラキラした部分を真似して巻き込まれてみて味わうのもいいのかもしれない
せっかく現代の特徴的な文化として存在するのだから楽しんだもん勝ちなのでは
という見方をするようになりました


他にインスタを敬遠していた理由に「沢山の人の承認欲求がギラギラと競争しているのが見ていてしんどい」「その競争の舞台に勝手に乗っけられてキラキラな他人と自分を比べることで劣等感を感じてしまって自分の軸をぶらしたくない」
というものがありました

なんでこんなにしんどいことなのに皆承認欲求を満たそうとしてしまうんだろう?
以前、私の心の中にひっかかっている「承認欲求」とはなんなのかについて調べてみたことがあります


これは岡田斗司夫さんのYouTubeで話していた内容ですが
承認欲求のロジックは

みんなに承認される=群れからはじかれない=生存確率が上がる

なんだそうです
だから承認欲求を満たしたいというのは現代版の生存本能的なものらしい


なんとなく承認欲求って言葉に卑しいイメージを持っていた私は、これを聞いて遺伝子レベルで組み込まれてるシステムなんだ…と納得しました 
みんな現代社会で死なないように本能的にそうなっていて必死になるのは当然なのかもしれないと思いました

逆に私が世間で生きづらさを感じている理由も、この承認欲求にのっかれてないのが1つの理由なのでしょうか…?
本当は集団で群れて生存確率をあげたほうがいいはずなのに、自分から集団を離れて1人になりたがるのは世間の風潮や本能的なものと逆行してるから?とも思ったりもしました 
私が旧石器時代生まれだったらすぐ死んでたな…令和でよかった…


インスタを触りはじめると色んな表現の場になっていたりしてそれはそれでおもしろいです
ただ偏った広告とか美容垢の押し売りとかは苦手です
やっぱり過激でネガティブなものは人を惹きつけるんだろうなぁ…
人間の防衛本能をくすぐる巧みな技法ですね
ルッキズムもどんどん加速してるな~とも思います
100年後にはみんな整形して大体同じ顔になって身長とかで優劣つけるようになったりするのかな…

さすがにこれが世界の中心だと思ってしまうと危ない気がします

でもHSPでINFJの私は周りの雰囲気に影響されやすいですが、頑固な自分軸を持っていて本質を見抜く力があると思っています
人がキラキラしているところを見て、じゃあ自分はキラキラしないといけないのかというとそうは思いません
私は私が良いと思ったものを大切にしていればいいし、1人で味わっても気が向いた時に人に見せて共有してもいい 
キラキラを楽しみたい気分ならそれもいい
嫌になったら離れてもいい
そんな風に自分が幸せでいられるように柔軟に使っていくのが上手いSNSの使い方なのかなぁと思います
noteもそんな感じで使っています


そういえば最近はぬいぐるみや刺繍のアカウントを見るのにハマっています 
かわいいものをみてほっこりしたり、繊細な刺繍の技術に心躍ったり、小さいのに宝石のような色とりどりのビーズが並んでいるのにもときめきます 
素敵なものを取り込むのは楽しいですね


ここまで読んでくれてありがとうございました
皆さんはSNSについてどんな意見をお持ちですか?一言コメントいただけたらうれしいです☺️



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