拒食症と1000万円の整形で血まみれになって倒れた末にご飯は美味しいと気づいた話
最近、ダイエットを無視して食べたいものを好きに食べている
すると体も心も調子がいい
気持ちがやわらかく余裕がある
私は万年ダイエッターで
痩せなきゃ!と成分表示を見てカロリー計算をして食べては絶望していた時はちっとも痩せずむしろ太っていった
思い出せるところまでさかのぼると小学5年生くらいだったと思う
そこから今までずっと食事に恐怖と憎しみがあった
最近たまたま見たYouTubeでごはんも油物も普通に食べて良い、食べないと逆に代謝できなくて痩せない
というのを見て目から鱗だった
摂取カロリーが消費カロリーを上回ると太るというのは常識だが、それは血糖値の変動に重きをおくゆるい糖質ダイエットだった
食べる物を抑えるというよりタンパク質と油をお腹いっぱい食べてから炭水化物も好きなようにつまむみたいな感じでこれならできるかもと軽くやり始めた
好きなものを食べたい時に食べてもいいと自分を許すと
じゃぁ後でも食べれるから今はいいやと食への執着がなくなってきた
そして前よりも食事を純粋に楽しめるようになった
今までの私はご飯を食べることを無意識に大罪と思いこんでいて
食べた罪悪感で指を喉に突っ込んでも吐けずに絶望したり、飲み込むのが怖くて噛んだら吐いてしまうチューイング症候群になっていた
結婚式のダイエット中、仕事終わりにどうしてもお腹が空いて晩御飯の前にコンビニで買い食いして食べてしまった時
私は車の中で物を噛みながら号泣して運転していたことを覚えている
噛みながら涙が溢れてきて味もわからなかった
車から降りてトイレに駆け込んで先ほど食べた物を吐こうと指を突っ込んでもオエオエと唾液が溢れるだけで、涙と涎まみれになりながらトイレにへたり込んでいた
私の人生のほとんどは
お腹は空くのに食べたくない、
食べたら太る、太ったらおしまいだ、なんでこんなに意思が弱いんだろう
と自分をずっと責め続けていた
特に結婚式前は、ご飯を食べるたびにどうしたらいいか分からなくて泣きそうになっていた
吐けないタイプだったから拒食症が羨ましかった
病気になってもいいからとりあえず痩せたい、ガリガリになりたいと思っていた
今冷静に考えるとそれをやって幸せになれるんだろうかと思えるが当時は本気で思い込んでいた
白滝や豆腐を主食にしながらへとへとの仕事終わりに1時間走って…と繰り返していた
そうやって半年努力して結婚式は思ったより痩せなかったがギリギリ見れる程度の体重にはなっていた
私の体型は人よりもかなり胸が大きくて、それがコンプレックスでもあった
胸囲が100センチくらいあるのでグラビアモデルになったら?とか何度も冗談で言われた
胸が大きいと服を選ぶのも大変で
ウエストに合わせると胸がしめつけられて服が入らないか、強調されていやらしい感じになってしまう
かといって胸に合わせると今度は胸のとこで布が盛り上がってそのまま落ちるので横から見ると太った寸胴体型に見えてしまう
無事に結婚式を終えた後、夫が友人から私のウェディングドレス姿が胸が溢れそうだった、奥さんスタイルいいねみたいなニュアンスのことを言われたと言っていて最悪な気持ちになった
もちろん夫も友人もマイナスな意味ではなくプラスなこととして私が喜ぶと思って言っていたんだろう
でも夫以外のましてや仲のいい友人からそんな気持ち悪い目で見られていたのが嫌すぎたし、私が小学校の頃からそういう目で晒されてずっと嫌だったことをハレの舞台でも同じように思われていたのがショックだった
ダイエットをしたとしても私は胸はちっとも痩せなくてむしろどんどん強調される感じだった
ただ生活しているだけなのに、「胸がおおきい」「いやらしい」「セクシー系だね」とか思春期もずっと言われ続けて勝手に性の対象にされてるのが気持ち悪かった
しかも相手は褒めてるのに何が悪いの?って体なのが余計に気持ち悪かった
思春期に知らない男子に勝手に胸の大きな女子ランキングに入れられて私は笑って受けながすしかなかった
自分が知らない女子に局部が大きいランキングとかつけられても平気なんだろうか心底軽蔑した
そういう訳で、胸が大きいと余計に太って見えるので必死にダイエットしていたのもある
でもこれは体質みたいなものでどうにもならなかった
自分の体をそういう目で見られてきたことを思い出してはご飯を噛んで飲み込めず吐き、食事を恨んでいた
このまま食べずに餓死して人間という形が消えてしまえばいいのに、この体もういらないのにと思っていた
後に整形で全身の脂肪吸引をした
その時はこの体を好きになるぞと前向きな気持ちで受けた
でも胸の中身は脂肪じゃなくて乳腺なので吸引機で削り取るわけにはいかない
もしやりたいならメスで乳腺を切り取って皮膚を縫い直す外科的な大きなオペがいるが妊娠や授乳を考えるとおすすめしないと言われて諦めた
全身の脂肪吸引の術後は壮絶だった
皮膚と皮膚の間にある脂肪組織をボールペンほどの太さの金属管を突っ込んで掻き回して剥がしながら脂肪を満遍なく吸っていく
そこには毛細血管が張り巡らされているのでそれをちぎり、細胞組織も引きちぎっていく
当然術後は交通事故にあったようなダメージで
内出血と腫れが酷くて関節が動かなくなる、引き剥がした組織の間に間質液が貯まり、それを注射器で挿して定期的に抜きながら、全身圧迫器具を常につけてプレスしたサンドイッチを作るように体の組織をくっつけていく
自分で選んだことだけど今思うとよく耐えれたなと思う
出血した分貧血になるのでお風呂上がりに素っ裸で倒れたこともある
倒れても体は2倍に膨れ上がって赤黒くて痛くて動かなくて、腕だけで下半身を引きずるようにして浴室からでてきた
低血圧で吐き気がとまらなくてオエオエ言っていた
相当惨めな姿だったと思う
腫れが悪化しないように、2週間は寝る時は足を布団を4枚ほど重ねた上にのせて椅子に座ったような状態で寝た
寝返りも上手くできず下半身が別の生き物みたいに動かなかった
ずっと腰が痛かった
起き上がるだけで叫びそうなくらい全身が痛くて5分かかってベッドに足をおろす毎日を送っていた
でも「私は自分の力で向き合って困難を乗り越えてる最中なんだ」という根性と意志の強さでなんとか半年経って治療を終えた
そして私はこれを3年ほどかけて別の箇所を3回やっている
今はこれを乗り越えれた自分はすごいと思うし誇らしい
自分から交通事故並みのダメージを引き受けてコンプレックスを解消しようとしたんだから並みの根性と精神ではできないと思う
なんだかんだで私って強いな…と今は思う
めちゃくちゃ辛いことは分かっていたけど、
なにか自分で立ち向かってやりきったというものが欲しかった
私がずっと体型への呪縛に囚われているから自分のできることはしてあげて好きになりたいと思った
結局お金は600万くらいかかった
他にも顔などの整形費用も含めるともろもろで1000万は使っていると思う
ここまでお金をつかって苦しんで自分のやれることをしたから、どんな形でもがんばった自分に優しくしてあげてもいいんじゃないかと少し吹っ切れた気がした
歳をとるにつれて自然と美醜の呪いから解放されてきた
最近は純粋に
「ごはんって美味しくて楽しいんだ」
「ごはんって食べてもいいんだ」
と思えるようになった
こんな当たり前のことを私は小5から忘れていた
そしてここ3ヶ月くらいそんな調子で何もしてないのに痩せてきた
自分の顔を鏡を見て「全然完璧ではないけどなんかいい感じ」と思う
人間って本当に不思議な生き物だ
私の何十年の葛藤はなんだったんだろう
今完全に自分の体を好きになれている訳ではないけど、「ご飯を怖がらずに美味しく食べれる」という事実が嬉しくてたまらない
ルッキズムに支配されてるこの世の中では私のような人はいっぱいいるだろう
世間では「整形で中身までは変えられない」「人間は中身が大切」「整形なんて将来崩れるのに、メンテナンス大変なのに」「子供がかわいそう、旦那が騙されるのかわいそう」「心が病んでる」
などの意見もよく聞く
それを聞くたびに泣きながら日々を過ごして命をかけて整形している人が沢山いるのに、それでもこんなに言われるんだなと悲しくなる
整形はズルしてるみたいな言い方にも反論したくなる
ここまで来るのに私は倍に腫れ上がった足を引きずって全裸で洗面器に吐いていた
泣きながらご飯を噛んで飲み込めないまま運転して帰った
鏡で自分の胸を見るたびにこの部分をナイフで削ぎとってしまえればいいのにと憎しみが止まらなかった
同じようにダイエットや美醜で悩む人が私の体験を読んですこしでも楽になってくれたらうれしい
ここまで書いても私がそのような人たちにしてあげられることが思い浮かばなかった
「人は気にしてないよ、そこまで見てないよ」
「どんな自分も愛してあげて」
なんて安易な言葉は私にはかけられない
どうか何か気持ちが楽になれる事を祈るしかない
ここまで読んでくれてありがとうございました
思い出して泣きながら書いていたらぐったり疲れました
何かコメントいただけたらうれしいです