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備忘録2
「車輪の再発明」と言う言葉がある。
すでに存在する解決方法を知らずに、それを再び1から発明するという意味だ。車輪を四角にしてみたり、三角にしてみたりしても、結局は丸に落ち着くということだ。
私はこの「車輪の再発明」と言う言葉を別の視点で見てみようと思う。
それは、結局はシンプルなものに落ち着くと言うことである。
例えば傘があるだろう。傘をさしていても濡れることを不満に思う人はいる。にもかかわらず、傘は長い時を経て、その形が大きく変わったことはない。素材は紙からポリエステルなどに変わった。レインコートなども発明された。しかしその形は大きく変わらない。なぜなら、このシンプルな形だからこそ、他のものを追加すると、収納面など、「雨から人を守る」以外の側面において、デメリットが強調されてしまうからだ。
他にも、たわしに関しても、ほとんどの洗濯に関して80点のクオリティで使える。大体、「便利グッズ」と呼ばれるものは1用途に対して、100点を出せるだけであり、他の用途になった途端に、10点程度の意味しかなさないことが多い。
シンプルさゆえの汎用性の高さというものは、その商品が発明されてしまった時にピークを迎え、あとは減衰するのみだ。二番煎じとはまさにこのことだろう。
このことから、私が発明しよう!と思うとき、そこには二つの選択肢がある。汎用性の高い既存の形に関して、素材、外見を変え、質を高いものにすること。(日本型なんとかみたいな言葉があったはず。)もしくは、シンプルなその大元を作るということだ。これはしばしば破壊的イノベーションによってしか生み出されない。
綺麗なものにこそ、便利さ、使いやすさは存在するだろう。また、それはしばしば先人たちによって検証済みである。この先人の知恵を見逃さないようにアンテナを張ることも大事だろう。