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短編小説:儚き泉の美学

健二は、普通のサラリーマンとして何年も同じルーチンを繰り返す日々に飽き飽きしていた。
毎日、仕事を終え、家に帰り、テレビを眺めながらなんとなく過ごすだけ。
そんな平凡な日々に、彼は心のどこかで何かを求めていた。

ある夜、友人に誘われてデリヘルに行くことになる。
緊張しながらも、健二は選んだ女性の美しさに少し安心し、ふとした好奇心から「おしっこオプション、ありますか?」と尋ねてみた。
驚いた表情を見せた彼女だったが、すぐに笑顔で応じ、受け入れてくれた。
その瞬間、彼女が健二の顔の上にまたがり、温かな流れが彼を包み込んだ。
健二は、まるで異次元に飛び込んだかのような高揚感を覚え、心の中で確信する。

「これが、俺の新しい嗜好か……」

それは、彼にとって単なる性的快楽を超えた、哲学的な体験だった。
尿は、体内の99%が再吸収され、たった1%が排出される。
その1%は、まさに相手の存在そのものであり、その儚さは神秘的な美しさを持っていると健二は感じた。
相手の1%を取り込むことが、まるで宇宙と一体になるかのような神秘的な体験であり、それが持つ美しさに心を奪われた。
その行為を通じて、相手と自分が一体となる感覚は、単なる嗜好を超え、深い理解と共感に基づく新たな哲学へと彼を導いた。

健二はこの新たな嗜好を深めていくことを決意し、「横浜デリヘル嬢おしっこ図鑑」というウェブサイトを立ち上げる。
そこには、体験した女性たちの尿について、アタック、酸味、甘味、渋味、フレーバー、ボディ、余韻といった7項目で評価し、体験の詳細を記録していった。
彼の意識は、単なる感覚的なものから、より抽象的で精神的なものへと深化していく。

「奇跡の泉」とも呼べる特別な出会いが訪れたのは、彼が何度かのセッションを重ねた後のことだった。
その日の体調や相手の体調が完璧にシンクロし、彼の中で前代未聞の感動が生まれた。
その体験をサイトに特集として掲載し、多くの訪問者と共有することで、健二は自分の嗜好を通じたコミュニケーションの大切さに気づくようになった。

やがて、健二のサイトは徐々に注目を集め、彼は「おしっこソムリエ」としての名声を得るようになった。
取材やイベントの依頼が舞い込むようになり、彼は全国を飛び回ることになる。
デリヘル嬢たちとの対話の中で、彼女たちも自らの体験を語り始め、健二はそれが単なる身体的な行為に留まらず、深い共感を生む場であることに驚かされる。

しかし、健二はその反面で、世間の偏見や誤解に悩まされることもあった。
友人たちには、自分の嗜好を打ち明けることができず、家族にはなおさら秘密にしていた。
プライベートな生活と公の活動の間で揺れ動く彼の心は、しばしば葛藤を抱えていた。
だが、彼はその苦悩を押し殺し、自分の信じる哲学を追求し続けた。

ある日、雑誌のインタビューを受けることになった健二に、記者が「おしっこを愛する理由は?」と尋ねた。
健二はしばし考え込み、次の言葉を口にした。

「おしっこって、ただの排泄物じゃないんです。体内の99%は再吸収され、たった1%が尿として排出されます。その1%には、その人の存在そのものが凝縮されていると思うんです。その儚さと美しさに、私は深く魅了されるんです」

自分の嗜好を誇りに思いつつも、他人からどう見られるかを気にしていた健二は、このインタビューを通じて気づく。
自分が本当に求めていたのは理解と共感であり、それを隠す必要はないのだと。

健二はSNSやブログを通じて、さらに自分の体験をオープンに発信し始めた。
驚くことに、彼の物語は多くの人々の共感を呼び、同じ嗜好を持つ仲間たちとの交流が次々に生まれた。
健二のサイトはただの娯楽ではなく、偏見を超えた新しいつながりを築く手段となっていった。

ある日、彼は特別なイベントで自らの体験を語る機会を得る。
健二は緊張しながらも、壇上で自分の嗜好についてオープンに語り始めた。
「おしっこが好きだということは、恥ずかしいことではない。むしろ、個々の存在を深く理解し、受け入れる一つの形なんだ」と。
彼の言葉は、同じ嗜好を持つ人々や興味を抱く人々に共感を呼び起こし、その場にいた多くの聴衆に勇気を与えた。

健二はついに自分の嗜好を肯定することができた。
その瞬間、健二は自分が追い求めてきたのはただの快楽ではなく、人間の儚さや美しさに対する敬意であり、それを通じて他者とのつながりを築きたかったのだと理解した。

そして、健二はこれからも新たな「奇跡の泉」を探し求めながら、他者との共感を広げていく決意を胸に抱く。
嗜好はただの快楽ではなく、人生の一部であり、他者と深くつながるための架け橋でもある。
健二にとって、それこそが彼の生きる意味だった。

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