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「スター・ウォーズ」について

(これは2021年5月にエッセイの会に投稿したエッセイです)

私が初めて「スター・ウォーズ」を見たのは仙台の映画館だった。28歳の夏だ。仙台に住む友人を訪ねた時のこと。「暑いし、映画でも見にいこうか」という友人たち数人と出かけていき見たのが「スター・ウォーズ/新たなる希望」だった。映画館を出たときは足元もおぼつかない状態で、こんな映画があったなんて! と私は激しい衝撃を受けたのだった。以来すっかり「スター・ウォーズ」の虜になってしまったのだが、友人たちの言葉はそんな私の頭に冷水を浴びせかけた。

「なんかつまんない映画だったねえ・・」

人の見方はそれぞれだということもこの時学んだ。以来、私は3年後の「スター・ウォーズ/帝国の逆襲」を一日千秋の思いで待ち続けることになる。

当時はまだビデオもDVDもなく、映画は映画館で見るかたまにTVで放映されるのを待つしかない時代だった。近所にビデオ屋ができて最初に借りたのが「スター・ウォーズ/新たなる希望」であった。当時は(まだそれほど険悪な仲ではなかった)元夫も巻き込んで(後に息子も巻き込んで)我家は「スター・ウォーズ」の熱心なファンになっていく。

とはいえ、まだ3年毎に公開される次のエピソードを待つしかなく(足しげく映画館に通うお金も時間もなかったので)、ひたすら「スター・ウォーズ」特集の雑誌を読んでは次回作に思いを馳せていた日々だった。3年間待たねばならないという試練はなかなかのもので、思えば、この我慢の時間もファン魂を増強させたのだろう。「スター・ウォーズ」は世界じゅうで爆発的なヒットとなり、ファンたちは日ごとに増えていった。だが、残念ながら私の友人たちはあまり「スター・ウォーズ」に熱心ではなく、私が「スター・ウォーズ」の話を始めるとそれとなく話題をそらすのだった。

そんな風にして「スター・ウォーズ」との日々が始まったのだが、思い返せば、私の人生の中で20代後半から70代の今に至るまで、これほど熱狂した物語はない。もちろん「ロード・オブ・ザ・リング」も「ハリー・ポッター」も面白かったし熱中したけれど、人生の大半の時間を虜にするほどではなかった。なぜ「スター・ウォーズ」だけがこれほど私を熱狂させるのか、今も定かではないのだが、もしかすると幼少期の環境が大きく影響しているのかもしれない。

私が幼少期に過ごした兵庫県の山奥、愛媛県の海沿いの小さな町には常に満天の星空があった。当たり前に夜の光景としてそこにあった星空は、中3の夏に東京に帰ってみれば、どこにもなかった。星空、そして宇宙に思いを馳せるのは、それも理由の一つかもしれない。

それはともかく、「スター・ウォーズ」について、少し説明しておく必要があるだろう。

「スター・ウォーズ」はジョージ・ルーカスが脚本監督した映画で1977年に公開された。

当時、ジョージ・ルーカスは弱冠33歳の無名の監督だった。お金もコネもなく、ただひたすら映画を作りたいという情熱に駆られて作った映画が「スター・ウォーズEP4/ 新たなる希望」である。多くの批評家たちが駄作と評し、ヒットしないだろうと予測する中で観客たちは「スター・ウォーズ」に熱狂していく。

ジョージ・ルーカスはこう考えた。アメリカには神話がない、その神話をつくるのだ。そこでジョゼフ・キャンベルの神話学等を基に世界じゅうの神話のパターンを学び、そこから「スター・ウォーズ」の物語を作りあげた。
彼の目論見は的中し、以来アメリカのみならず世界じゅうで「スター・ウォーズ」は熱狂的なファンを生み、すでに現代の神話となっている。
公開当時は3年毎に次回作を発表する形だったのだが、待ちきれないファンたちは自ら「スター・ウォーズ」の世界を空想し、自らがそこの住人となり、様々なイメージを膨らませていった。こうして「スター・ウォーズ」という一大叙事詩の世界ができあがっていったのだ。

ジョージ・ルーカスが監督したのは、EP1~6までの6部作で、その後ルーカスフィルムがディズニーに売却(2012年)されてからはJJ・エイブラムス監督により、EP7~9が制作され、2019年にEP9が公開されて、「スター・ウォーズ」の物語は一応完結した。
しかし、私にとっての「スター・ウォーズ」はあくまでもEP1~6の6部作である。つまりジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」こそが「スター・ウォーズ」だと思うのだ。

ジョージ・ルーカスが監督した6部作の物語は以下のように構成されている。

まず最初(1977年)に公開されたのはEP4(エピソード4)である。
つまり物語は途中の4話目から始まるのだ。え、それじゃ、EP1~3はどこにあるの? ということになるが、ジョージ・ルーカスは最初からこの順序で作るつもりだったようだ(しかも9部作で考えていたという)。
まずはルーク・スカイウォーカーの物語を作り完結させ(EP4~6)、その後、ルーク・スカイウォーカーの父ダース・ベイダーことアナキン・スカイウォーカーの物語(プリクエル・前日譚)を紐解く、という順序になっている。
「スター・ウォーズ」はスカイウォーカー家の物語なのである。

第1作目(EP4)は銀河の辺境にある砂の惑星タトゥイーンから始まる。様々な惑星を束ねた銀河連邦は、かつてのクローン戦争により民主的な共和国連邦から独裁的な帝国に転換した。そのクローン戦争から20年ほど後のこと。共和国軍は少数ながらも強大な帝国に屈せず、民主的な共和国を再び樹立するために各地で懸命に戦っていた。

ある日、帝国軍に追われた共和国軍のロボット2体(R2D2と C3PO)が母船を抜け出して、惑星タトゥイーンにたどり着く。この惑星にはルーク・スカイウォーカー(19歳)が住んでいた。彼は孤児で、義理の叔父夫婦に育てられた。
ルークはたまたま中古で購入したロボット(R2D2)のメモリーに不思議なメッセージを見つける。翌朝、ロボットが勝手に家を抜け出したので、ルークはロボットを追跡して、砂漠で暮らしている老人ベン・ケノービのもとを訪れる。実はこのベン・ケノービ、かつてオビワン・ケノービと呼ばれたジェダイの騎士であった。
ルークはオビワンから彼の実の父はクローン戦争で活躍したジェダイだったと聞かされる。だが父は帝国軍の将軍ダース・ベイダーに殺された。オビワンはルークの父からライトセイバー(剣)を預かっているといってルークに渡す。そして、ジェダイの力の源であるフォースについて語り、ルークに一緒に帝国軍と戦おうと呼びかけるが、ルークは拒否する。
しかし家に帰ってみると義理の叔父夫婦は帝国軍に殺害されていた。そこで、ルークはオビワン・ケノービとロボット2体と共にタトゥイーンを飛び立ち、帝国軍と戦うため共和国軍に参加する・・
最後は帝国軍の巨大兵器デススターを破壊して、めでたし、めでたし、となる。

EP5では、帝国軍は更に強大になり、共和国軍を追い詰める。その過程でルークはジェダイマスターであるヨーダと出会うのである。そして、フォースを学び、ジェダイの騎士となる。

EP6では、ルークは帝国軍を操っているダース・シディアス(ダークサイドの首領で強いフォースの持ち主)と対決して打ち負かし、悪の将軍ダース・ベイダー(実はルークの父親)を再び善の側に蘇らせるのである。

スター・ウォーズの世界は冒頭「遠い昔はるか銀河の彼方で・・」で始まるように、遠い昔彼方の銀河で起きた物語であるという設定なのだが、もちろん独裁的な帝国と戦う民主的な共和国軍という構図は現代の世界を反映している。また辺境の星々(タトゥイーンもそうだ)に住む政治とは無縁で被害ばかり被っている庶民たちの生活も描かれていて、その中から数々の英雄が生まれては死んでいくという非常に人間臭い物語でもある。
またそれぞれの星に住む人種(というか生物種)たちがユニークで共和国軍はそうした様々な種族が助け合って連合軍をなしているのに対して、帝国軍は人間(という種)とストームトルーパー(クローン人間の兵隊)および戦闘ロボットで成り立っており、他の種族を見下しているところなど、アメリカの社会を反映しているといえるだろう。

この様々な種族というのが実にユニークで、スター・ウォーズを面白く魅力的にしている要素でもある。EP4でルークとオビワンがタトゥイーンの空港から飛び立つ前に優秀な飛行士(ハン・ソロがそれだ)を探しだすシーンに登場する酒場には様々な種族がいて、それぞれ姿形や性格が個性的で、まずはこのシーンに驚愕した記憶がある。

さらに帝国軍の最高司令官が実は共和国の議長パルパティーンであったという逸話や、彼が民主的な議会を影で操作し、どのようにして独裁的な帝国を樹立し人々を支配していったか、という経緯はナチスやコルテスがアステカ王国を征服したときの手法に通じるものがある。スペインに限らず侵略者、独裁者の手法には幾つかのパターンがあるようで、「スター・ウォーズ」をはじめとした様々なSFに登場する。SFというのはただの空想物語ではなく、実際の世界のありさまを反映しているから面白いのである。 
(後編に続く・・かもしれない)

(残念ながら、後編はありません)                                 

(追記)
最近(2024年)、ジョージ・ルーカスが次なる「スター・ウォーズ」に復帰するというニュースを見た。すごく楽しみだ!

また、最近になって「オリオン大戦」の話をネットで見つけた。はるか昔、実際に宇宙で大きな戦争が起きていた。それが「スター・ウォーズ」の元ネタになった、というのである! ワクワクする話じゃないですか。


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