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神津島一泊旅行(後編)
神津島灯台、ありま展望台、多幸湾、そして帰路。
翌日もよく晴れた。
帰路も神津島空港発のドルニエ機である(午後3時15分発)。それまでの間、もう少し島内を周ってみたい。9時半過ぎにホテルの送迎車が「さるびあ丸」(竹芝桟橋から10時間かけて神津島に来る船)の客を迎えに神津港に行くというので同乗させてもらい、まっちゃーれセンターの観光協会にスーツケースを預ける。ついでにお勧めの観光スポットを聞いて、神津島灯台、ありま展望台、おたあジュリアの碑などを訪ねることにした。村営バスの時刻表を調べるが、ちょうどいい時間にバスがない(何しろ一日に数本しかバスがない)。ホテルの人の話では、おたあジュリアの碑までなら徒歩十五分ほどなので、歩いて行けますよ、というのだが、いやいやこれは鵜呑みにしない方がいいと昨日のことを思い出して、タクシーを手配することにした。
案の定、ヘアピンカーブの山道が続き、山の中で道も暗い。ここを一人でとぼとぼ歩いていくのはかなり心細い。若い人ならバイクという手もあるけれど(電動サイクルでは無理)車以外では歩くしかなく、ホテルの人がいうように15分で着くとはとうてい思えない。
最初に訪ねたのは神津島灯台だ。前浜から西に延びる山の上にある。タクシーには灯台下で待ってもらうことにした。運転手の話では「10分ほどで着きますよ」という。たしかに10分ほどで着いたのだが、かなりの急坂で(階段もあるが段差が大きい)、ほぼ山登り。スニーカーでよかった。革靴だったら途中で断念したかもしれない。それほど急な坂道が上まで続く。ようやく灯台にたどり着いた時には膝ががくがくした。よくぞ登れたと思う。灯台のある場所はさすがに見晴らしがいい。よく晴れてはいるが海面付近が少し靄っていたので三宅島は見えなかった。それでも海はどこまでも青く輝いている。
タクシーを待たせてあるのですぐに降りていき、おたあジュリアの碑とありま展望台へ向かう。
おたあジュリアというのは、徳川家康の侍女で、キリシタン禁教令に逆らって棄教しなかったため島流しにあったという朝鮮籍の女性である。キリシタン名をジュリアという。ありま展望台のそばに大きな白い十字架と記念碑があり、前浜からもよく見える(注2)。
ありま展望台には若い女性が一人いた。これから神津空港まで歩いていくという。30分くらいで着くはずだというのだが、彼女は無事空港に到着しただろうか。
ありま展望台でしばし景色を楽しみ、再びタクシーで前浜に戻る。一時間弱の観光でタクシー代が3300円もかかった。神津島ではレンタカーを借りるのが一番いいのだが、あいにく免許を返納してしまった。しかも直前だと予約が取れないことが多いという。不便この上ない島だが、だからこそ自然の景観を保っていられるのだろう。
前浜に戻り、12時のバスで次なる観光地、多幸湾へ。
この多幸湾がすばらしかった。窓から湾が見えてきたときは思わず「わあ、すごい!」と声をあげてしまったほど。息を飲む絶景とはまさにここのことだ。天上山からなだれ落ちるように白い崖が海に落ち込んでいる、その真下に白い砂浜が広がり、砂浜の先にある岬との間で大きく湾曲した浜を形成している。岬の先の海と浜の海の色が絶妙に異なり、まるで天国かと思われるような景色だ。この白い崖の壮大な風景はこの場所に立ってみないとわからない。
今回の旅で痛感したのは、とにかくその場所に行ってみないとわからないということ。いくら写真やYouTubeで見ていたとしても、実際の景色は全く想像の外だということ。おそらく世界の絶景と言われる場所も同じだろう。行ってみないと真の凄さはわからない。たとえばグランドキャニオン。若い頃から行きたいと思っていたのだが、あまりにたくさんの写真や記録映像を見てしまい、何だか行った気になっていた。でも、実際は全く別物だろうとここに来て思った。
百聞は一見に如かず。現場に行ってみるしかないのだ。旅とはそういうものだ。
だからこそ、若いうちに世界じゅうを旅しておいたほうがいい。残念ながら私にはその機会がなかったけれど、今からでも行ける場所はたくさんある。これからは躊躇することなく出かけていこうと思う。
ここ多幸湾で、昨日赤崎遊歩道で出会った水着のカップルと遭遇。向こうから声をかけてきた。白い砂浜と青い海の絶景の中にいるのはこのカップルと私の3人のみ。本当に贅沢な時間だった。
でも、残念なことにバスの時間が迫っていた。バスの運転手が、20分で折り返し前浜に行くけど、遅れた人は置いてくよ、というのでたった20分間ではあったけれど、多幸湾を楽しんだ。次回はぜひここで半日過ごしたいと思う。
バスで前浜に戻り、さて昼食をどこで食べようかと思い、まっちゃーれセンターのとなりにある「よっちゃーれセンター」という土産物屋とレストランが併設された建物に行ってみるが、満席。若い学生たちが昼食の最中だった。メニューは海鮮丼などで、夕べホテルでたっぷり食べたので、軽いものがいい。パン屋はないかと探したところ、「藤谷ベーカリー」の看板を発見。矢印の先に「徒歩三分」とある。絶対三分じゃないだろっと思いながらもパン食べたさに歩き出す。案の定曲がりくねった細い坂道を登っていくが、パン屋はおろか店など全くない。きっともう廃業したに違いない、前浜に戻るか、とあきらめかけた頃、ようやく「藤谷ベーカリー」の看板が見えてきた。雑貨屋を兼ねたパン屋でフィッシュバーガーとクロワッサンを購入。まっちゃーれセンターの待合室で食べる。これがけっこう美味しかった。自家製の魚のフライは肉厚で実に食べ応えがある。これとソーセージ入りクロワッサンで昼食を済ませる。あとは3時15分の飛行機に間に合うように、空港に行けばいい。でも、バスはない。タクシーを手配するしかない。残りの1時間半ほどをまた前浜の近辺で過ごすことにした。
前浜から見える高台に神社が見えたので、帰る前に参拝しようと立ち寄ることにした。けれども行ってみると、石段がものすごく急な上に手摺もない。ここで足を滑らせたら一巻の終わりだ。人気もないのでしばらく見つけてもらえないだろう。というわけで残念ながら途中で断念した。やはり離島の自然はあまり人にやさしくない。急峻な石段や急な坂道を日常的に行き来している村民にとっては何でもないことでも、都会から来たやわな人間にはなかなかきついのである。
それでも、海はものすごく綺麗だ。どこまでも透明でどこまでも青い。砂浜に座りこんで、再び海を堪能した。海はただ眺めているだけで心地よい。
子どもの頃、愛媛の海端で育ったので海は常に身近にあった。再び海に来て、打ち寄せる波とその向こうに広がる大海原を眺めているうちに、私に足りないのは海だったのだと気づいた。海がどんどん私の中に流れこんできて、ガス欠の車にガソリンをチャージするように、海をチャージしていく。やがて私の身体は海で満たされていった。
島では自然が主(あるじ)で、人間は自然のお恵みを受けて(かろうじて)生かされている存在であることがよくわかる。
私たちは時々こんなふうに自然の中に身を置いて、自らの小ささと自然の恵みの豊かさを実感する必要があるのだろうという気がする。
こうして、2日間の神津島体験が終わり、再び神津島空港発のドルニエ機で調布飛行場に戻ってきた。
帰りもあっという間だったが、何より驚いたのは、島々の姿を眼下に眺め大島を後にしてしばらく後のこと、三浦半島にさしかかった途端、人間の営みが見えてきたことだ。家々は米粒のように密集しており、その密集度のすさまじさは島と比較すると異常さがよくわかる。神津島では人より自然のほうが大きく、手つかずの自然があり山は原生林に覆われていた。一方、ほんの少しの海を隔てて三浦半島にさしかかるとたちまち人間の暮らしの過剰さが見えてくるのだ。この地球の上で人間は増殖しすぎた生物なのかもしれない。
その増殖しすぎた都市の中で私は生きているわけなのだが、これからも時々島に行き、海をチャージして、人間であることの性(サガ)を、できれば洗い流して、少しでも自然に近い生き方をしたいと思うようになった。
たった2日間ではあったけれど、貴重な島体験であった。次回は絶対星を見にいくぞ、と思っている。
(注1)ふてくされて寝ている利島の神様
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(注2)おたあジュリアの碑と十字架
![](https://assets.st-note.com/img/1729740763-xcwn2HPaqdseL4rDYkIt7iCv.jpg?width=1200)
(注3)赤崎遊歩道 向こうに見えるのは式根島と新島
![](https://assets.st-note.com/img/1729740762-UdIk9LFPvMAJKyig7eSla6tr.jpg?width=1200)