人生の終わりに、人が辿り着く美しさ
80歳を超えたおばあちゃんは、みんなお花が好きだ。このことが、世界の真理に限りなく近いように思える。孫に「スマホは便利だよ」「LINEをやろうよ」と勧められてスマホデビューを果たしたおばあちゃんが、そのスマホのカメラで撮るのは、大抵、孫とお花だ。80年の人生で酸いも甘いも、醜いも美しいも経験したおばあちゃんが、最後に辿り着くのは、やはり花を愛でる日常であり、日々の些細な幸せなのだろう。それはおばあちゃんたちにとって美しく、穏やかで、癒される存在だ。人は年を重ねるにつれて、自分の中にある美しいもの、自然の中にある美しさに気づいていくのかもしれない。
20代は人生の楽しさを最も実感できる時期だ。まだ責任も少なく、ホルモンの影響で日々を楽しく過ごせる。それもあって、この時期の人生は多くの出会いと経験に彩られる。好きなことに没頭したり、失敗を恐れず挑戦したりと、自由な可能性が広がっているように思える。20代から30代にかけて、自分の可能性や生きがいを模索し、全力で未来を追い求める時期でもある。
しかし、30代になると、世間の厳しさや運、不運も含め、人生において現実的な限界が見え始めることもある。努力だけでは報われないことや、自分ではどうにもならない現実に直面する人が増えてくるのもこの時期だ。それでも「どう生きるべきか」を問い続け、方向を模索し続けるのが30代の特徴だろう。40代になると、性格も価値観も大きく変えるのが難しくなり、社会や周囲の様子も自分が若い頃とは全く異なっていることに気づく。こうして考えると、残酷だが、人生の方向性は20代の頃にはある程度定まってしまうのかもしれない。
今は「人生100年時代」とも言われる。100年生きることが前提となり、年齢による区切りも曖昧になりつつあるが、それは少し残酷にも感じる。長い人生の中で、たとえ一時的に挫折しても、諦めずに生きることが必要だ。遅咲きの花もあるように、年齢に関係なく新たに花開く瞬間が訪れることもあるからだ。人が諦めない限り、花が咲く可能性はいつでも残っている。
80年という長い時間を生きる中で、人は嬉しいことも嫌なことも、理不尽なことや思いがけない幸運も経験する。何度も苦い思いをしたり、時に幸運に救われたりと、その積み重ねが人生を豊かにしていく。そして人は多くのことを学び、いつの間にか人生の重みが積み重なっていく。26年しか生きていない僕には、その経験の深さは計り知れない。想像を超える知恵や忍耐力が80年という歳月の中に含まれていることは間違いない。
そんな偉大な先人たちが、人生の最後に辿り着く答えが、「お花がきれいだ」ということなのだ。長い時間をかけて生き、いろいろなことを経験し、最後に「美しい」と感じるのが自然の一部である花であるというのは、とても静かで、尊い真実に思える。花を見つめて愛でるおばあちゃんの姿には、僕には到底わからない深い意味と美しさがある。
人生の終わりに、人がたどり着くのは、おそらく「自然の美しさ」なのだろう。それ以上に美しいことはないのかもしれない。
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