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キース・へリング展で考える、資本主義と芸術の共存

 福岡市美術館で開催されたキース・へリング展に行ってみた。キース・へリングといえば、棒人間が楽しげに踊っているような作品しか知らなかったが、彼の他の作品にはどんなものがあるのだろうと期待していた。会場に入ると、作品は年代別に展示され、メッセージや背景が丁寧に解説されていて、彼の活動や考え方を新しく知ることができた。

 キース・へリングは、もともと駅地下の広告スペースに自作の絵画を展示していたようだ。しばらくすると、それが次々と盗まれるようになり、そこから有名になったという。この展開はどこかGoogleの躍進と似ている。Googleもアフィリエイト広告と検索エンジンを組み合わせ、多くのユーザーを誘導して有名になっていった。こうした流れは、非常に「アメリカン」な要素があるとも感じた。さらに、へリングは反資本主義を掲げ、無償で芸術を広める活動も行っていた。こうした政治的思想と芸術の結びつきは現代アートの特徴といえるだろう。

 展示場を抜けた先には、皮肉にもへリングの棒人間が描かれたマグカップやパズル、タオルが売られていた。反資本主義を唱えたはずの作品が商品化され、お金儲けに利用されているのだ。この構図自体が、もはや芸術といえるのではないかと感じて笑えてくる。資本主義は反資本主義さえも吸収し、力としていく。日本でも、村上隆がルイ・ヴィトンとコラボし、現代アートと資本主義の結びつきを明示した第一人者として知られている。芸術愛好家の中には、資本主義を拒絶し、芸術本来の価値を守るべきだと主張する人もいるが、僕は資本主義を無視して現代を語ることはできないと考えている。現代アートと資本主義の結びつきは、芸術だけで生計を立てることが難しい現状も影響しているのだろう。

 その一方で、「芸術」に憧れを抱く人々は今も一定数おり、美大や予備校は、そうした生徒から高額な授業料を徴収し、仲間内でそれを分配している。その学費は、芸術に夢を託した親が支払っているのだ。こうした構造を歯に衣着せず批判したのが村上隆で、彼は「現実離れした芸術論を語り合い理想だけで死んでいく芸術界」、「腐った楽園」とさえ言った。彼が日本の美術界で嫌われるのも当然かもしれない。

 「芸術家とは、芸術によってカネを稼げる人間のことだ」という彼の言葉が示す通り、現代アートと資本主義は切り離せない関係にあると僕も思う。


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