文章を書く意味とは?
ライターとはなにか。なにを書く人をライターと呼ぶのか。小説を書くのが小説家で、詩を書くのが詩人で、エッセイを書くのがエッセイストで…と考えていけば、ライターの正体も分かるのか。
僕は趣味で物書きをしているが、プロのライターが書く文章にはやはりかなわないと感じる。プロと素人の差は、実際に歴然としている。たとえば、歌を歌えば、その人が素人かプロかはすぐにわかるし、将棋の素人が藤井聡太に勝つこともまずあり得ない。素人がプロに勝とうとするには、相当な努力と才能が必要だ。有名レストランのシェフは、メニューのレシピを秘匿し、プロの間でだけ共有していると聞く。だからこそ、クックパッドでレシピを見て料理を楽しむだけの素人が、プロの味を再現できないのは当然だ。
では、文章の場合はどうだろうか。やはりプロの間だけで重要な文章術は秘匿されているのだろう。プロの技術は知らないが、しかし、僕も文法や構成を工夫して読みやすい文章を心がけているつもりだ。文章を書き始めたのはまだ最近のことだが、さまざまな文体を実験的に試している。文章の効果を測る方法として、最もわかりやすいのはやはり「いいね」の数だろう。そして、その過程で「いいね」をもらいやすい共通点をひとつ発見した。
それは、自分の飾らない感情を書いたときに評判がいいことだ。どうも人間というものは、他人の生の感情が大好きらしい、実際、本音は面白いんですよ。みんな現実では、本音を隠して生きていますから。変に取り繕うからありきたりの文章になるんです。
あまり気合を入れすぎていない時の方が反応が良かったりするし、逆に拘りすぎたせいでよくわからないモノへ仕上がったりもする。クリエイターなら共感する人も多いのではないだろうか。
例えば、感情抜きの理屈っぽい文章は、校長先生の大変ありがたいお話のようなもので読んでいて退屈なのでしょう。反対に、人気ロックバンドの感情を揺さぶるトークのほうがみんなにウケがいいのです。しかし、何かの情報を伝えるときには理屈っぽくなるのもしょうがないとも思いますし、それだけでは味気なくつまらないものになってしまうので、等身大の感情をいかにバランスよく取り入れるのかも技術なのでしょう。
文体、つまりどう語るかと同じくらいテーマ選びも重要だ。例えば、ベストセラーのひとつに『バカの壁』という新書がある。解剖学を専門とし、「唯脳論」を唱える養老孟子さんは、当時すでに日本の知を代表する人物だった。そんな知の巨人に「知性とはなにか?」ではなく、あえて「バカ」を語ってもらう。あらゆる人間に潜む「バカの壁」の正体について語ってもらう。すばらしいパッケージングで唸らせられる。知の巨人にそのまま「知とはなにか」を語ってもらっても、それはいいパッケージとは言えないだろう。「だれ」と「テーマ」の組み合わせは、遠すぎてもいけないし、近すぎてもつまらない。「どう語るか」と同じくらい「だれ」が「なにを語るのか」は重要なのである。
それから、「誰に向けて語るか」によってもテーマ選びや文体を変化させる必要もあるのだろう。しっかりと伝わるように。あるいは失礼のないように。たのしんでもらえるように。
近いうちに自己紹介も書こうと思います。ライターが何なのか、まだはっきりとはわかりませんが、少なくとも僕が何者なのかは知ってもらいたいと思っています。
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