9月のこと(オハラ☆ブレイクに行ってきた)
私が生まれ育った町から車で15分くらいのところに、猪苗代湖という大きな湖がある。子どもの頃から、マァしょっちゅう遊びに行っていた。
春は湖畔の桜が満開、夏は澄んだ水で泳ぎ放題、秋は紅葉、そして冬はシベリアから白鳥が山ほどやってきて湖水に浮かんでいる。
磐梯山の四季折々の姿を楽しめる素晴らしい湖だ。
あまりに雄大なので、小さい頃は「これが海なんだ」と思い込んでいた。そんなバカなと思うかもしれないが、そのくらい綺麗な湖なのである。
のどかで美しく、穏やかな場所。大自然を喜ぶ人もいれば、なんにもなくてつまらないと思う人もいるだろう。
去る9月28日、そんな猪苗代湖で開催された『オハラ☆ブレイク』というフェスに行ってきた。
2015年のスタートから「え?この人たちが?この場所に?」と二度見するようなはちゃめちゃに良いラインナップで、ずうっと行きたいと思っていた。
フジロックと帰省と朝霧ジャムに挟まったスケジュールでなかなか参加できず、毎年タイムテーブルを見つめてはため息をつきながら、こんなイベントが地元で催されていることが誇らしいな、とも思っていた。
それが今年はいろんなタイミングがカチッとハマって、ようやく参加できたのだった。
チバユウスケは、どこにもいなかった。
いなかったんだけど、みんなでチバと肩組んで歌ってるみたいな、そんな夜だった。
「追悼しましょうね」って感じじゃなくて、みんなチバがそこにいるみたいに楽しく歌って、次から次へと素晴らしいボーカリストがやってきて笑顔で歌って、その繰り返しで、それがすごく良かった。
ほとんどMCもないまますごい勢いでライブが終わった瞬間、どデカい花火がぼんぼんとたくさん上がった。
「いなくなったことはたいしたことじゃない。いたってことが重要なんだ」
鮎川誠とシーナについて、甲本ヒロトが残した言葉。全員でそれを体現してるみたいな、そんなライブだった。
悶えるポイントなんて、数え切れないほどあった。SEも、編成も、選曲も、ステージにいるみんなの表情も。
私はぐしゃぐしゃに泣いていて、途中から泣いてるのか笑ってるのか自分でもどういう感情なのかわからなくなっていた。
私の人生にたくさんの足跡を残したロックスターたちが、歌い、ギターを弾き、ベースを鳴らし、ドラムを叩いた。
フェスでは時折、奇跡が起こる。パチパチと光って見えるようなその奇跡を目の当たりにした夜だった。
2003年にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが解散した後、チバはさまざまなユニットやバンドで活動してきた。でも、ミッシェル時代の曲を歌うことはなかった。
だけど、2016年に『GT400』を、翌年はそれに加えて『ドロップ』を歌ったという話が聞こえてきた。その舞台は、どちらも『オハラ☆ブレイク』。
これはかなりの事件で、当時大きな話題になった。後にも先にも、チバがミッシェルの曲を演奏した話は聞いたことがなかった。
「なぜ、猪苗代湖で‥‥?」
地元で開催されたフェスでチバがミッシェルの曲を歌った。衝撃や喜びがごちゃ混ぜになって、私の謎は深まるばかりだった。
何となくそういう気分だったのかもしれないし、いい感じに酔いがまわっていたからなのかもしれない。
でも、もしかしたら。猪苗代湖の最高なロケーションがちょっとだけそれを手伝ったのかもしれない。
チバを囲むような最後のセッションが始まる一時間前。
奥田民生が『さすらい』を歌ったとき、猪苗代湖はそれはもう真っ赤な夕焼けで染まっていた。私が自慢に思う故郷のこんな景色がチバの心に何かしら作用したのなら、すごくすごく嬉しいと思った。
(敬称略)
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