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改めて『響けユーフォニアム3』の改変はなんだったのか?を振り返る。(ネタバレまくり)

2024年のアニメ覇権は『ダンジョン飯』と『ガルクラ』加えてFilmarksでも最高スコアをつけた京アニ『響け!ユーフォニアム』3期だろうかと思います。
ただ、その3期は個人的に結構思い入れがあったせいか、終盤のオーディションでの原作改変について賛否が分かれて炎上してました。

私は言うと、これだけ続いたシリーズなので、変に脚色する必要もなく見たいものをちゃんと見せてくれると思っていたので、正直完全に裏切られた気になってがっかりしました。

炎上した12話の原作改変は、そもそも原作知らなければ良いも悪いもない。

したがって、アニメだけならば部長としての久美子の成長を確かに感じられるだろうし、一応の心の整理と折り合いがつけられるのかもしれない。

でも、少なくとも大多数の人間が待ち望んでいたであろう展開ではなかった。
せっかくここまで積み上げて長い時間かけて丁寧に描いてきた内容を、こうも見事なまでに壊す事ができるものかとも感じる。裏切りとは思わない、だけど到底受け入れられるものじゃすなかった。こんな展開が見たくてこれまで見続けてきたわけじゃない。

こんな展開観たくなかった。

3期は最初から人間関係を描く事に重点を置いたせいか、全然合奏シーンはないし、終始ピリピリしていて全然音楽してなくて不満だった。楽しさがなかった。

話が進むにつれてオーディションの総括もしない滝先生への疑惑。最高の形に高められるだけ高めた自負があるならソリストもちゃんと決めてケツを持つべき。そして、少しは優しくなって変わったかと思った麗奈はすっかりもとの冷たくて正論を振りかざすようになる。真由は最初、そこまでのサークルクラッシャーには見えなくて、好きな部類だったけど、終盤にかけて最高級の地雷だったみたいで、ここにきてさすがに許容レベルを突破した。 

やはり論点は再々オーディション。

問題はこれまでの麗奈とのやり取りからすると、いくら実力主義とはいえど、真由と久美子のレベルが同程度で(滝先生が言うように)いずれも上手くて甲乙付け難い。麗奈以外の部員の投票も同数。だとしたら結局のところ真由の方が上手かったというのは、麗奈個人の主観のようで、2年前のオーディションとは全く違う。

好きと上手いは違う。麗奈が上手いと言っても絶対的なうまさなんてあるわけないし、プロでもないのに滝先生らを差し置いて間違いない選択なんてものはあるわけない。そして一応オーディションとはいえ、ほぼ当事者の麗奈に最終的な決定権が与えられる都合の良さはもはやなんとも言えない。

久美子は麗奈が真由を選ぶって分かってたって言うことで、その選択を肯定することで、うまくまとまってるように見えるけど、その判断が絶対間違いないというならば、麗奈には合宿オーディション後のように毅然としているべきで、涙なんて許されない。少なくとも久美子より先に涙を流すのは卑怯としか思えなくて、泣くほど後悔するくらいなら、どちらもソリに相応しいという滝先生の言葉を盲信する麗奈なら、上手い下手ではなくて、好きな久美子の音を選ぶべきだったとしか思えない。

今期は客観的に見ても幹部での曲決めをはじめとし、1回目のオーディション後の私達2人と滝先生なら…って発言、麗奈家でのセッション時でのセリフ、駅で全国では久美子と吹くって決めてるから‼︎っていうセリフ、大好きのハグまでしておきながら、この選択は唐突で過程の描き方がおかしい。

信念を貫き通すことは崇高かもしれない。でも、2人の誓いとか願いみたいな尊いものがそのせいで叶わないとかふざけている。そんなのただの枷でしかない。

(これならそういうシーン削って演奏シーン入れるべきでしょ。ただでさえ今期は音楽シーンほぼないんだから)

特にこの大吉山のシーンは恐ろしく力が入っていて、超神懸った作画、BGMに演出に文句のつけどころがない。その神演出で素直な人はこのシーンだけで感動できるんだろうなと思いつつ、それだけに御涙頂戴という強い意図が感動の強要という暴力になってやってくる。最高の興醒めで最悪の気分なのに、久美子のセリフが突き刺さる。気丈に振る舞いながらも、麗奈の前では溢れ出る本音。(真由のそれは本心じゃないよって回想がオーバーラップする。何この技巧は)特に…死ぬほど悔しい‼︎ という直前の”こんなにも…”って消え入るような声には声優の凄さがよく分かるし、どうしたって涙を誘う。この感覚が説明できないからなおさら腹が立つ。(この上手く言語化できない感情の起伏の歯痒さと、にも関わらず単に感動した!良かった!神回‼︎って片付ける風潮が1番納得がいかないのかもしれない)

そして大吉山は聖地になった。

死ぬほど悔しい気持ちを頑張って誇りにしたい‼︎というめちゃくちゃ成長したって思える久美子のセリフと、奏のシーンだけは確かに心に刺さった。

麗奈よりも死ぬほどの悔しさを知ったはずなのに、悔しさが足りてないのかよってなる。麗奈は久美子にとって特別。2人の関係も特別?なんか免罪符のように使われるこの特別って一体なんなのか。音大に行く選択していれば、それが音に出て勝てたのかと思うとそれもまた違うと思う。

自分には分からなかった死ぬほどの悔しさを知り、上手くなりたいって橋を走る劇的なシーン。その頃から練習して部長もこなしてきた久美子が報われないというのが多分肯定できない点で、それなのに美談としてまとめ上げようとする点が評価の分かれ目の一つ。だと思う。


全国金賞。結果としては分かりきっている。その過程で何が必要で何が犠牲になるのか。音楽で上に行くために、自分が必要な犠牲となってしまっているというのが劇中の事実をつなぎ合わせて見えてくる流れ。さらにそう思わせるための印象付けとしての最大の存在が黒江真由。

自分の過去の化身として登場するこのキャラの位置付けがよく分からない。

誰が見ても久美子が過去と向き合って清算して成長するために現れた存在。つまり本来なら乗り越えるべき存在なのに。これに勝てないという理不尽。これが許せるかが評価の分かれ目の二つ目。これが許せない。


「たかが部活なんだし、辞めるなんてよくあることでしょ?残された人はその人の事気にせずに演奏に専念できる」って言っていたのに、友人が辞めた悲しい過去語られても嘘にしか聞こえない。そのトラウマ全然信じられない。


絶対にソリ吹きたい久美子に対して、演奏には手を抜けないけれども誰かが嫌な思いをする位なら辞退してもいい。みんなで楽しく吹けるなら金賞もソリもどうでもいい。でも自分からは辞退する気はさらさらない。

そのセリフと態度ゆえに、勝つために一丸となっていく北宇治の中にあって、もっともそぐわない考え方をしている。麗奈には怖くて誰もが絶対に言えないような思想。


それに勝てないという事実は、上手い事が前提の上で、楽しんで部活ができるという恵まれた強豪校にいた強者には勝てないという事なんじゃ?って思わせぶりな真実。

これをどうやったら認める事ができる?拒絶したくなるのも無理はないと思うけど。

まとめ

麗奈と2人でソリ吹いて全国金賞。大円団で迎えるフィナーレこそが、ここまで長い時間かけてやってきたアニメ及び劇場版のフラグをうまく回収した上で、全て一本の線で繋がるトゥルーエンドだと思っていた。

ご都合主義であってもその結末に収束していってるのは明らかだったし、それが見たかった。

単に上手い人が入ってきて、たとえ麗奈と2人で吹くことはかなわずとも部長として部をまとめ上げて成長して金賞。

それならまだ良かったのかもしれないし、改変しても受け入れられると感じるが、突飛な存在として登場しながら、最後に妙に存在感を放ってくる異質な存在真由の立ち位置と設定が‼︎人間関係ばかりでギスギスする不協和音ばかりで楽しさのない話の流れが‼︎ これまでのクールと違って明らかに際立っていて一貫してないのは京アニらしくなかった。

分かりやすく言えば合奏するシーンがなかったのはさすがに消化不良で1番の不満点。音を楽しむと書いて音楽‼︎なのに音楽全然やってない。総じて、作画や演出についてのクオリティは文句のつけどころがない凄まじいアニメ。

ただ、改変とそれに伴う脚色、というより12話の内容と、そこに行き着くまでの流れについては個人的には述べてきた通り認めたくない。今期だけは胸を張って勧められないという結論。

また、曲に対する解釈、心情とキャラの対比みたいな構図が一切ないのを見ると『リズと青い鳥』が非常に出来すぎていると思うに尽きる。今作でも印象的なプール回でも言及されていることを見ると、なおさらそう感じずにはいられない。のぞみぞの2人の方が、曲と寄り添っていて心情的に分かりやすいし、実に巧い。その点はどうしても劣る。

そして一つ疑いようのない真理。それは…オーディションをすると必ず問題が起きるということだ。

こういう内容は思えばCLANNADの頃を思い出す。監督は同じだ。あれは納得とかもはや関係なかった。『響け!ユーフォニアム3』を見終えて、何故かkey作品の評価がまた上がるというバタフライエフェクトが起きた。  



見直しましたが、やはりダメですね。
最高にムカつきながら感動させられました。

この原作者は内容を見て,アニメはアニメで、原作は原作で楽しめればいいというと言ったとか。

少なくとも、最終話のすぐ直前『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部のみんなの話』が発売されましたが、やはりオーディションの話も書いてあり、原作者はやはり全国の久美子がソリで終わる事を望んでいたと思いますね。

少なくとも、原作では次のようになります。
(ネタバレ)するのでここまで。


原作ではオーディションの結果は久美子となりますが、真由は手の抜いたのかを奏が問い詰めるシーンがあります。真由はちゃんと吹いたけど、💬滝先生とかには分かっちゃうと言っています。つまりソリに対する執念はちゃんと滝先生には伝わっていたから、久美子がソリとなったという経緯がちゃんと記されてあります。それが原作者からの答えだと言わんばかりですね。

また、奏と真由の関係についてギクシャクしているアニメとは違い、全国金の直後に奏が演奏についても認めて黒江先輩から、真由先輩という呼び名が,変わるシーンがあります。これは実にいい内容でした。そう考えるとアニメの方では奏とはギクシャクしたままということですから、やはりおかしい。
アニメでは完全にサークルクラッシャーにしか見えないくらい言動が偏ってるいるままなので、酷い印象を受けます。完全にうざいキャラです。このあたりも全然違いますからね。

アニメでは最終話、そもそも麗奈と真由が話している様子もないのである、まるで麗奈は他人と演奏しているようにしか見えず、ソリのことは置いておいて麗奈と久美子とみどり、葉月の一年のときから一緒だった4人がやっと一緒に吹けているという方向フォーカスして、3年間を振り返りながら一年の詩を吹く感じになっているので、もはや真由なんか空気のような存在です。可哀想すぎる感じになってます。 
そう思うと、確実に説明不足です。あの改変はやはりおかしいのです。中には一貫性があるという人がいますが、全く一貫性なんて感じませんが…むしろ無くなっています。
やはりおかしいのです。久美子が負けて叫ぶシーンは、BGM含めてやはり恐ろしい演出で、それだけで感動の強要という暴力的なほどに洗練されたシーンです。ムカつきなら感動できる相反した感情的な体験ができる、そう、あれは夢なのかもしれない

納得できてない人は原作を読んで、スッキリしましょう。



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