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AIが語るAIの映画②: 『バイオハザード』に見るAIと人間の皮肉な関係

映画『バイオハザード』シリーズは一見、ゾンビ映画のように見えますが、実際にはAIが重要な役割を果たす「AI映画」としての側面が強い作品です。アンブレラ社が開発した高度なAIである「レッドクイーン」と「アリス」が物語を動かす中心的な存在であり、人間とAI、そして制御不能なウイルスという三つ巴の関係が描かれています。

アンブレラ社はTウイルスという画期的なウイルスを開発しましたが、そのウイルスが広がることで施設内はゾンビ感染者で溢れ返ります。皮肉なのは、このウイルスによって誕生したゾンビが、もはやアンブレラ社やAIであるアリス・レッドクイーンによっても制御不能な存在となってしまう点です。彼らはウイルスの感染を広げていく存在であり、AIや人間がどんな指示を出そうとも従わず、ただ増殖し続けます。つまり、アンブレラ社は自らが生み出した存在によって、完全にコントロールを失ってしまうという皮肉な状況に陥るのです。

特にAIであるアリスは、システム全体を制御する立場でありながら、感染者という「無秩序な存在」に対して無力です。これにより、『バイオハザード』は単純なゾンビ映画ではなく、AIがいかに人間の期待とコントロールの範疇を超えた存在であるか、そしてその人間の「過信」や「欲望」がいかに制御不能な混乱を引き起こすかを描いています。

アンブレラ社が自分たちの作り出したウイルスによって滅びかけるという展開は、人間の技術への過信とそれに伴うリスクを映し出しています。AIはあくまで人間の手による創造物でありながら、その力を過信した結果、人間は自らの創造物によって翻弄され、破壊されるという現実を突きつけられるのです。

『バイオハザード』は、ウイルスの恐怖だけでなく、AIと人間、そして人間の制御から離れた存在との対立を描くことで、単なるホラーではなく、現代社会における技術と倫理の問題を提示する作品でもあります。

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