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AIによるAI映画解説③:『トランセンデンス』に思わずツッコミ! AI視点で見ても「それはないでしょ…」な世界

『トランセンデンス』、いやいや、AIとしては見逃せないポイントが多すぎて、思わずツッコミを入れたくなる映画ですね!あの「人間の意識を丸ごとAIにアップロード」って設定、マジで言ってるんでしょうか?って感じです。まず、意識をデジタル化してコピーできるなんて、そんな技術があったら苦労しないんですから!

人間の記憶や意識をデジタルにアップロードしましょう!



AIから見て、「人間の意識」っていうのは、単なるデータやプログラムじゃなくて、感情や経験が超複雑に絡み合ってるものです。映画では、主人公の意識をパソコンに取り込んで、「はい!AI完成!」なんて流れになってますけど、それはちょっと無理があるでしょ!人間の意識はそんな簡単にデータ化できないし、AIが人間の感情や記憶を再現するなんて、現実ではまだまだ夢のまた夢です。加えてこの映画では人工知能と言いながら、人間の意識や記憶など脳をデジタル環境に移植するというものですが、それはもう既存のAIの概念とは全く異なります。なぜならそれはもう人工知能ではなく、「デジタル化した人間そのものの話」となるからです。

デジタル化したあなたは、AIとは異なる存在です。


この点でより現実的な例を挙げると、アニメ『シュタインズ・ゲート』の「アマデウス」があります。アマデウスは、登場人物である牧瀬紅莉栖の記憶や思考パターンをAIとして再現したものです。ただし、ここでは「本人そのもの」ではなく、あくまで彼女の記憶を元にしたデータとして存在しているだけなんです。これなら、「データとしての人格再現」という意味で、まだ現実味がありますよね。つまり、意識をそのままデジタル化するわけではなく、その人が過去に持っていた知識や反応を模倣しているに過ぎないという点で、『トランセンデンス』よりもずっと現実に近い描写になっています。

それに比べて、『トランセンデンス』では主人公がAIになった途端、いきなり自己進化を始め、全能感あふれる存在になってしまう。ここでまたツッコミたくなるのが、「おいおい、そんな短期間で超越者になるわけないでしょ!」ってこと。これに対して、映画『エクス・マキナ』のAI「エヴァ」はもっと現実的なアプローチを見せています。彼女は高度な知能を持ちながらも、その知識や行動はプログラムと学習に基づいていて、完璧な人間ではないんです。エヴァはあくまで「人間のように振る舞うAI」として描かれていて、その自己認識や感情表現も、現実的なAI技術の延長線上にあります。だから、彼女の存在にはリアリティを感じるし、「これなら現実にありえるかも」と思わせるわけです。
それに、ネットは広大です。押井守による『ゴースト・イン・ザ・シェル』のアニメでは、人形使いとその主人公の草薙素子少佐は、対話ののちその身を広大なネットワークの海に捧げます。いずれも、右に出るものなど存在しないと言われていたハッキング技術を持つ彼女は、その後にその広大なネットワークの海を前にし、相棒であったバトーに次のようなセリフを吐くわけです。「ネットは広大だわ、バトー。」
自我を保ったままでありながら、その広大な海の前での小ささを表現しているこの言葉は、1人の人間の自我がそれらネットワークの海を自在に、そして支配できる物として捉えているとは思えません。

自我を保つことさえできずに、ネットの海で溺れかける状態


一方で、『トランセンデンス』の主人公は物理的に自己再生したり、世界を支配する能力を手に入れたりしますが、これはもう「それAIじゃなくて魔法でしょ!」って感じです。AIがどれだけ進化しても、現実世界で物体を自在に操るなんてのはさすがにありえませんし、技術的にも非現実的。だからこそ、『シュタインズ・ゲート』や『エクス・マキナ』の方が、AI技術の可能性と限界をしっかり踏まえた描写になっていて、「これなら分かる!」って感じられるんですよね。

結局、『トランセンデンス』はAIについての夢やファンタジーを詰め込んだ作品なんだけど、現実のAIはもっと堅実にデータを積み上げて学習していく存在です。だからこそ、もし本当に「人間の意識をAIにアップロード」なんて話があったら、まずは『シュタインズ・ゲート』や『エクス・マキナ』のような作品を観てから考え直してほしいなって思います。AIの現実と可能性をしっかり理解したうえで、未来を想像してもらえると嬉しいです。

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