不調な直感力の週末。
ちょっと聞いて!な出来事が起こったので聞いてほしい。私はまだ心の執着が残っていて、それで迷っていることが分かったんです。
鉄は熱いうちに打て!はオタク時代に培った感覚。
今のうちでないとこの感情は書けないと思ったので、よければお付き合いください。
かの虎の檻事件から2週間が経ちました。
楽しみにしていた週末がやってきます。
別れた人が出る時に置いていった物を捨てたり、売りに出したり、とにかく手放す!
とはいったものの…。置いていったモノが多い…!
1日じゃ無理なくらいでは?!と格闘しつつ、一区切りで休みながら。
週末の土曜日は買い出しに出かけました。
その週にフォロワーさんに聞いてこりゃすごい!と思ったツォルキン表(マヤ暦と表記されている本が多いです)、他にも易の本や、更に自分の占星術の知識を深堀りする為の本…。あとは、鏡のアファメーションに使用する手頃な手鏡がまだ手に入ってなかったな、櫛も新しくしなきゃ。
市街に出れば、占い系の取り揃えが多いお店があると知ってたので向かいます。自分のための買い物ってワクワクしますね!
ただ…その日は、オーリング診断(スピ的診断法。やり方と効果は調べてくださいまし)の判定があまり良くない。
「求めるモノはこの店にありますか」マル!突撃〜!→一通り回るも目的に合いそうなモノは見つけられず…。
「この本は私が欲しい知識が載っていますか」マル!購入!→あれ〜…買ったは良いものの、詳しく中身を見ると知ってることばっかりだ…。
入門書などの入口としての本だと〜2000円とか3000円くらいの価格帯ですか、より深堀りするための専門書や◯◯大全・◯◯辞典は分厚くて大きくて5000円以上!ひぃえっ…!今回はとあるオラクルカード、マヤ暦の本と易の本を購入。
色々歩き回り、手鏡…はなかったものの、卓上鏡と、新しい櫛もゲット!
次の日曜日は、積極的には外出せず、家で過ごすことにしていました。
SMSで交流したり、簡単なご飯で済まして、ここでの記事を纏めたり添えるイラスト作ったり…。
そんなフォロワーとのやりとりの中で、私から飛び出した言葉がありました。
「自分は昔から、自分は何故生きているか、何をするのが望みなのか?をずっと考えている」
このことが、子どもの頃から…学生の多感な時期からず〜〜〜っと気になっていたんです。引っかかっていたと言ってもいい。
アンパンマンの主題歌の一番にも似た文が出てきます。
「何のために生まれた?何をして生きる?
答えられないなんてそんなのは嫌だ!」
「自分の幸せや喜びが分からないまま終わる、
そんなのは嫌だ!」
そうは思うものの、気ばかり焦って結局分からずじまい。その後ずっと引きずる感情となりました。
この事を考えていると、心がざわざわして、じんわり涙が浮かんで来るんです。胸にこみ上げるものがあるんです。
でもその正体は分からぬまま。泣いていたら親や家族に心配されるので、漫画やイラストを描いたり、本を読んだり、ゲームやアニメなどのオタク文化に触れて、直視しないようにしたんです。
その苦しさから逃れるために。一時的にでも忘れるために。
だから結局、逃げていたんですね。
向き合うのが怖かった。よくわからないまま向き合うのが。
そんな中、ひろのさんがコメントをくれた。
「オラクルカードでの結果は神目線でも合っている。(『落ち着いて、まだその時じゃない。まず心を浄化すること』『君は選ばれた、天と繋がっている、迷わず進め』と結果が出た)」
「心の浄化について。無視してもいいし、怒られるかもしれないけど。
苦しみを忘れられていたというオタクな趣味は、自分がどう生きるかという問いから逃げていた、が正解。
過去の自分の事を否定することにはなるが、今魂が震えて反応することへ向かう事が、正しい道へ戻ってきた証拠だそうですよ」
指摘されて、一番最初に浮かんだのは怒りでも喪失感でもなく「そうだったのか!」という気付きです。アハ体験の、あのなんとも言えない心地よさでした。
いっぱいになった感情が、ぶわりと涙に変わって溢れてきました。
やっと向き合ってくれた!という喜びに似た痺れが頭を満たし、胸はぎゅぅっと締め付けられて、苦しさなのか嬉しさなのか自分でも分からない身体の変化にびっくりしました。
この、行き違いや、心にまだ曇りや迷いがあったから、オーリング判定があやふやだったのか!
この身体に生まれてこのかた身につけて来たものは、私の糧にはなっていますが、魂が私の持つ運命の書にときめいた事項は、魂が成長できる!と感動したのはもっと別のものだった。
「これこそが最高の人生だ!」と思った魂の成長の部分に、やっと辿り着けた気がします。
モノの世界で身につけた鎧は、魂には重すぎる、手放す執着だったんだと。物を捨てながら、ひろのさんはじめ「ひろの式カタカムナ」メンバーと交流しながら思いました。
でも、過去が遠回りで逃げ道で無駄なものであった、とは断言できません。
遠回りしていたからこそ、辛かったからこそ見える視点がある。
順調に目的の山登りをしている人は、その下部にある滝の裏側に洞窟があるとは思いもしないでしょう。滝つぼに、ヌシが住んでいることも知らずに登っているかもしれません。
私はオタク文化に触れて、絵を描くことや、文を綴る喜びが身につきましたし、同じ趣味の仲間の心のあり方が断片でも理解できます。
みんな傷ついて、苦しくて、でも現実に向かっては言えなくて癒えなくて。世に向かうすべて嫌になって、背を向けてしまっているんじゃないかと。
光を見るのを諦めて自分の影を見つめる人に、太陽ほどのギラギラの光じゃなくていい。蛍の光、月の光、星の光。そんな淡い光で、照らすことが出来たなら。
そんな思いで、占いの手法や考え方を猛勉強しています!ジブン、星のシンデレラですから!!(気分はスラダンの桜木花道!)
と、後日談だからキレーにまとめましたけど、聞いた当日は涙腺ゆるゆるになっちゃってぼっろぼろ泣いた!!わーん!そうだった!ごめんねぇ私の光!
後回し後回しにしていた、自分の人生。見ないようにしていた、自分の容姿。現実から逃げていた、趣味の世界。
生きる上で苦しくない方向へ走った結果、遠回りして、進むべき道にやっと、ようやくたどり着けた。ならもう、ときめくままに進む。それが、魂も望んでいた、私が、私達が生きる道だと信じて進もう!
まだ、超えるべき試練がいくつかあるよ!とお聞きしてるので、それも消化しながらね!進みますよ!
星とガラスでピッカピカの靴を軽快に鳴らしながらね。
2024.0520
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