生徒が先生のニーズに合わせる日本教育
私が学生のとき(中学校、高校)にて英語の授業では先生が筆記体で英語を書いていた。
私たちの時代は筆記体はならわないので、黒板に書かれた文字を読み、理解することが困難であった。
私は先生に「筆記体で書かないでくれ」といっても、
先生は「私筆記体じゃないと書けないもん」と怒る。
私は教育開発を大学院で専攻しており、途上国にて生徒のニーズに合った教育ができないと先生の質、教育の質がよくないという会話をしたことがある。
しかしながら、先進国である日本においては、
先生が生徒に合わせる
ではなく、
生徒が先生に合わせる
という風潮があり、
今でもそれは根深く残っている。
すなわち、生徒は先生のニーズに答えるということであり、
日本教育において生徒の自主性を尊重する、というのはない。
年功序列、年上が偉い、先輩、後輩があるように
また普通教室と特別支援教室という、基本的には二つしかなく、
先生が生徒のことを考えて、ペタゴジーを行うことは少ない。一部の先生は「先生は偉い、生徒は先生の言うことを聞くべきだ」と主張する。
また個性的な人、障害を持つ人はその特性を邪魔扱いされ、その特性ならではの強みが生かされることはない。
海外では履修を選択できるのに、日本は科目、カリキュラムは指定されている。
自主性を重んじない傾向が強いため、私の場合は高校にて中国語を勉強していて怒られた。
途上国の教育は開発の世界では問題視されるわけだが、日本の教育システムも問題視されるべきであると思う。