トリノのレベッカ〜フィアットとニューシネマパラダイス

7月の北イタリア。フィアットは高速道を走って行く。
懐かしく切ないニューシネマパラダイスのメロディと共に海に向かって。

夏になると思い出す旅がある。
セビージャでの留学生活を始めて3ヶ月半がすぎた頃、私は北イタリアへ10日間程の一人旅に出かけた。いわゆるバカシオネスだ。(スペイン語でバカンスはバカシオネスという)
直行便でトリノへ飛び、そこから次の目的地ジェノヴァへ向かう電車の中で、
私は1人のイタリア人女性と出会った。

ミラノ駅から乗り込んだ私は、車両の中で空いている席を探した。
毎日通っている語学学校での勉強の成果で、スペイン語は少し喋れるようにはなっていたが、イタリア語はさっぱり、更に英語も苦手な私。
だから空席は割とあったが、余計な会話をしなくて済むよう1人で静かに座れそうな席を探した。
そして私は1人で2人掛けの椅子に座り、イヤホンで音楽を聞いていた“彼女”の向かい側に座った。
アウトドア系な服を着てショートヘアな彼女の事を、外見から少し怖いなと思ったのを憶えている。
他にアジア人は乗ってない様子だったが、彼女は私をチラリと見て興味無さそうに再び目を逸らした。

席の確保ができて一安心。
しかし、エアコンの効いてない蒸し暑い電車は、突然ほんの数駅程走ったところで停車してしまった。
イタリア語の車内アナウンスがあり、それを聞いた乗客たちが荷物を持って降り始める。目の前のアウトドアな彼女も荷物を抱えて席を立とうとしていた。

“全員降りないといけないの?”
思い切って、簡単な英語で私は彼女に声をかけた。
状況が分からず、他に頼れる人も声を掛けれそうな人もいなくて仕方なく。
“そうみたい”
彼女はそう言って通路へ歩いて行ったので、私は慌てて彼女の後を追った。

北イタリアなのにイメージと違って、気温も湿度も高かった。
降ろされた乗客たちはホームに溢れていて、困惑しきった私は彼女に英語で質問を繰り返した。
どうやらどこかで火災があり、その影響で電車が止まった。代替車両が到着予定だがいつまで待たされるか分からない。
彼女から聞かされ知った状況は、私をとても不安にさせた。

他にする事も無いので、
吹き出る汗を拭きながら私達は会話を始めた。
まず自己紹介から。

彼女はレベッカという名前でトリノに住んでいると言った。
英語は苦手だ、スペイン語で話してもいい?と尋ねた私に、
なんでスペイン語できるの?と微笑んだ彼女の顔はとても優しかった。
スペイン語は話せないけどイタリア語と似ているので理解はできるよ、私は英語で話すねと言ってくれたレベッカと私は、ホームで立ったまま互いの話をした。
レベッカはジェノヴァで女友達と合流して休暇を楽しむと言っていた。

30分程話した頃に、遠慮がちにレベッカがこう言った。
“いつ電車来るか分からない。自分は一旦タクシーでトリノの自宅に車を取りに戻り、そこからジェノヴァまで運転して行くつもりだ”

そう言われた私は、
ああ、ついに1人きり、
どこかも分からない駅のホームで、
いつ来るか分からない電車を待つことになるんだ、
と胃の辺りが重くなるのを感じた。

“そっか、わかった”
落ち込んでいる事は顔に出さず、笑顔で私はそう言った。

すると彼女は
“でね、、、もし良かったら一緒にジェノヴァまで乗って行く?”
と遠慮がちに提案してくれたのだ。

たまたま目の前に座っただけの、たった今30分ほどだけ会話しただけの、外国人の私に。

本来であれば。
海外でのこのような出会いは、相手が女性であっても、安易に信用するべきでは無い事くらいは私もわかっていた。
でも。
レベッカの事は、信用しても大丈夫と思えた。心でそう感じたから。


私達はタクシーに乗りトリノにあるレベッカの自宅へ向かった。
私の車の前で待ってて、と言われ、自宅に入って行った彼女の戻りを待った。
可愛いフィアット500。さすがイタリア人。

暫くして戻ってきたレベッカが私に言った。
“ごめんね、暑い中、外で待たせてしまって…本当は家に招待したかったけど今すごく散らかっていて…”
とても申し訳なさそうな顔から、建前ではない本当の気持ちを感じて益々彼女の事を好きになった。


ジェノヴァまで約3時間半、レベッカの運転するフィアットに乗り高速道を走った。
ほんの少し前に出会ったばかりの私達は、車内でたくさんの話をした。
お互いの国の事、家族の事、仕事のこと、恋愛の事…
私はスペイン語、彼女は英語、と話す言語は違っても何の不自由も違和感もなかった。
まるで昔からの友達みたいに。

“イタリアの映画や音楽って聞いたことある?”
そう質問され、
音楽はよく知らないけど、映画のニューシネマパラダイスが大好きだよ、と答えた。
“あれは間違いなく名作だ!”と言って、彼女はサントラCDをかけてくれた。


たまたま電車で前の席にいたイタリア人女性の運転するイタリア車に乗り、
イタリア映画のニューシネマパラダイスを聴きながら、
イタリアの高速道をドライブしている。

窓から見える広く長く続く金色の草原を、私は不思議な気持ちで見ていた。
異国の、美しい曲と風景と、そしてとても温かく優しい人…
それら全てが溶け合って、あの瞬間は完璧な世界があった。

私はうっとりと浸りながら、その幸せに感謝した。
家族と親友以外の全てを捨てて、スペインに留学して本当に良かった。
またそう思う事ができた。

ジェノヴァに着き、タクシー代、ガソリン代、高速代を半分払うと申し出たら
丁重に断られた。
その理由が

“あなたが居てくれて本当に良かった!じゃないと1人で長時間運転しながらジェノヴァへ行くなんて耐えられなかった!あなたのおかげでとても楽しかった!”

それは私が言おうと思っていた言葉。
レベッカが居なかったら、私は夜になってもあの駅で1人途方に暮れていたかもしれない。


また必ず会おう!イタリアかスペインか日本で!
私達はそう言って別れた。
暑い7月、潮風と夕陽が照らすジェノヴァの街で。


あれから2年が経つが、今もレベッカとは時々メッセージ交換をしている。
文字だけでも彼女の変わらない優しさを感じることができる。
来年あたり、彼女の住むトリノへ再び訪れたい。

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