王さまの本棚 まえがき
35歳の誕生日(2020年8月8日)周辺にTwitterで、favのついた数だけ本を紹介するよ!という企画を行ないました。そのとき112冊ノックした本について、王さまの本棚と題して、1tweet1noteにまとめていきます。
Twitterでは砕けた、というかむしろ溶けた文体も使い放題なので、やりやすかったのですが、noteとなるとそうはいきません。ええと、がんばります。
始めるにあたって、少し、まえがきを。
生まれたときから、わたしのそばにはたくさんの本がありました。
両親が与えてくれた本、祖父母に買ってもらった本、父の本、母の本、伯父たちの本、図書館の本……並べ始めたら尽きることがありません。もちろん、与えられた本、そばにある本を全て読んだわけではありません。
手に取って読み始めて、すぐにやめた本、そもそも手に取らなかった本、だらだらなんとなく読み切った本、だらだらと読んで終わりのページに辿り着けなかった本、肉をむさぼるように、水をがぶ飲みするように読んだ本、余韻に酔いしれた本、夢中になって二度三度、折に触れ、数え切れないほど読んだ本、そしていつしか、その取捨選択こそが、人生の肝だと思うようになりました。
ファージョンの『ムギと王さま』まえがきには、こんなようなことが、書かれています。
午後の日差しの中で金の埃、銀の蜘蛛の巣に囲まれて不自然な態勢をものともせず夢中になって読む、子どもたちの経験の、なんと尊いこと。
読んできた本は、そのひとの人となりを表わすことができるのかもしれないと、思っています。少なくとも、わたし自身の場合は。
どの本にも、どんな小さな絵本にでも、思想は宿ります。そういうこのすてきな世界で、何を与えられ、何を選択して生きてきたか。何を好み、人生の指針、生きていく航海の星じるしとしてきたか。
それはいっそ、宗教への信仰を持たないわたしの、宗教にこそ、似ています。
わたしは本を通して、世界の成り立ちや神さまの存在、偶然による奇跡、そんなものの存在を確かに感じ、救われてきました。
ここでは、わたしをそのようにかたちづくってきた本たちについてお話ししようと思っています。
また、先日書いた、このtweetのツリーも、始めようと決心したきっかけになりました。
よかったら読んでみてください。
要するに、わたしはわたしで、楽しそうに古典文学やいまどきの本、好きな本たちについて、楽しそうにしていよう、ということです。
そう、楽しむことが大事。楽しそうって思ってもらえたら、とても嬉しいです。
もしもあなたの大好きな本や、気になる本があれば、コメントで教えてください。あなたとお話しすることも、楽しみにしています。
ではでは、次回から始めます。
*真夏生まれの誕生日の話なので、猫野サラさんの絵を使わせていただきました。きゃーきゃーかわいい!かわいい!!お顔がちょっと平たいところがたまらんです!*